
(歴史の3層)
これは私個人の持論なの ですが、「歴史」というものは3つの側面を持っていると考えています。
一つは 「当時生きた人の主観世界」 です。 事実と違う歴史や伝説、俗説に生きる当時の人々 の意識にうつる日常世界、或いは非日常世界・夢。
歴史はこうした、人々の主観世界の巨大な流れであると考えています。 現代に関しても、学者が 書く「20世紀の社会」とかメディアに残る記事だけではなく、 今を生きる我々の意識そのものが「歴史」だと思います。
次の観点は 客観的情報の分析と理論付けによる歴史研究の結果 生成される「歴史」です。
現代のわれわれでさえ政府統計など「客観的データ」により「時代像」を把握したりしています。 これらは時代内の人々の主観世界や常識の世界とは別の次元の話ですし、 理論や分析による時代像の再構築は現実の1断面を見せはしますが、 当時の人々さ え意識していなかった意味を与えてしまったりするもので、 これは「歴史」という現象の一部ではあっても、全てではないと考えます。
我々は当時の人々が意識していなかった経済力・穀物などの取引量を試みに数値化してみせること も出来ますし、 当時の人口密度を算出することも出来ます。 当時の人々が「暴動」としていた事件を「新興階級の台頭」と位置づけることも出来ます。 当 時の人が 「トルコ人」 だと思っていた人々を 「実はイラン系」 と調査してみることも出来ます。 エジプト人が虫除け薬を顔に塗っていたのを 「化粧 の歴史」 として描くことも出来ますし、 気候の歴史、 トイレの歴史、 筆記用具の歴史など 様様な分析軸で歴史をたどる、或いは再構築することが出来 ます(ブローデルの「構造」もレヴィ・ストロースの「構造」も、ウォーラーステインの世界システムやフランクの周辺理論も、ヘーゲルの歴史哲学、マルクス史観、シュペングラーやトインビーの文明論など、いわゆる「巨視的歴史理論」もここに入ります)。
3番目の観点は 人間には 絶対認識することの出来ない 「事実」 の世界、実在の 「歴史」です。
ちょっと説明が難しくなりますが、 蓮見重彦の 「デリダ、フーコー、ドゥールーズ」 という本 に 「洞窟の中の怪物」 の比喩が出てきます。 以下はこれに関する私なりの解釈でしかありませんが、 我々人間の世界に対する認識とは 真っ暗な洞窟の 中で 姿形の見えない怪物を前にしている様なものだと思うのです。
人間は洞窟の奥に様様な角度からボールを投げてみて、その跳ね返ってくる方向や音、怪物の発す る声などで、「こんな怪物がいるのだろう」 と推測し、定義し、更に検証の為のボールを更に投げてみて、予想通りの方向に跳ね返ってくれば、 「予想通り 怪物はここに角がある」 と推定を 「事実」 とし安心する、 これが人間の世界認識の方法論であると思います。 ここでいっているボールとは、科学的 実験であり、言葉であり、概念であるわけですが、 如何に「科学的証明」であろうと、証明された事実は 我々が構築した 「怪物のイメージ」 にしか過ぎ ません。 それは怪物の一部をあらわしていても、 決して怪物の全体像を捕まえることは出来ないのです。
ここで怪物を「実在」と読みかえてみます。 科学は、ロケットをとばし、ミクロ(素粒子の世界) とマクロ(宇宙の構造)までの研究を進めはいますが、 それはどこまで行っても 決して実在(怪物)には到達は出来ないのです。 しかしかなりの精度で 近づくことは出来るかもしれません。 しかし明かりがついてみたら、「怪物」だと思っていたものは、ハリねずみの様に中心のコンピュータから突き出した無 数の針金の集積だった、ということになるのかも知れません。 この「明かりがついてみたら」 というのも比喩の話で、明かりをつけられるのは神しかいな いでしょう(神がいるとすればの話ですけど)。
我々人間の住むこの宇宙も、 そして我々人間の歴史も その実在(怪物)そのものでありなが ら、 人間には完全な認識は決して出来ないものなのです。
ちょっとこの観点だけ長くなりましたが、 言いたいことは、人間がいくら研究しても 「歴史の 実在」 に到達することは出来ず、 出来てせいぜい当時の物証から観点1の様な、 当時の人々の世界意識を想像するか、観点2の様に現在の理論に従って 当時の世界像を再構築するか、のいずれかです。歴史発展の理論や文明論というものがありますが、 これは歴史の実在とは関係無く、 人 間の主観や、研究理論が生成した社会的産物に過ぎないものだと思います。
紀元5世紀、ローマが滅びる時、世界は滅びると考えた知識人は沢山いたことでしょう。 「もう駄 目だ」とやけになって自殺してしまった人もいたことでしょう。
しかし、 「滅びる」 という認識は、人間が「ローマ文明」というものを強く意識しているがゆえ になにか 「実体」 として認識されているだけの話であり、 その結果として 「実在の歴史」 の一部となってしまう、というものだと言えます。 なぜな ら「実在」とは人間の意識・夢・誤認も含めその全てを含むものなのですから。
しかし、人間が考えるより先に 「文明の興亡」 があるわけではなく、 人間が与えた「指標」 に、始めと終わりがあるだけなのです。 「ローマ文明」という指標を持ち出してくると、ローマは滅んだことになるでしょうが、「エジプト-シリア社会」と いう観点では別に文明は滅亡してはおらず、 アラブの侵入により一時的に混乱・戦乱はあったとはいえ、繁栄したままの社会が相変わらずずっと続いているの です。 人口もそれほど減らなかった様だし。 (但し「ローマ」的な社会ではなくなっているでしょうけれど)。
(色々書いてきましたが、結局、「主観-客観-実在」というありふれたテーマということです)
「当時生きた人の主観世界」と景観・当時の人 々の視線を知るための情報を収集しています。
「当時の人々には世界はどの様に写っていたのか」
「自分達のことを何と呼んでいて、隣の国や民族をなんと呼んでいたのか」
「どんな人生観・世界観を持っていたのか」ということを知りたい、少しでも当時の人々が見ていた世界に近づきたい、そのための材料 を探して掲載することを目的としています。
たとえば、我々は世界が平面ではないことを知っていますから、これに関し、当時の人々 の視線に近づくのは困難、という考え方もありますが、 学者や宇宙開発関係者でない限り、 一般人の日常世界にとっては地球が平面であろうが、丸かろうが あまり関係の無いことかもしれません。 ルキアノスの著作などを読んでいると、当時の人々は我々とあんまり変わらなかったのかも、と思うこともあります (一方皇帝が同性愛をおおっぴらにやってたりして、 やっぱ違うな、と思うこともあります)。
言語的側面については、究極の理想はラテン語とギリシャ語、中世ペルシャ語と中国語が出来れば よいのですが、 人生は短く自分の能力にも限りがありますので、せめて 当時の人々の 実際に使われていた名前や 自称などについては分かる様になりたい と考えています。
カエサルが実際には「チェーチャル」、「キケロ」が「チチェロ」*1となることなど塩野七星の 「ローマ人の物語」を読むまで知らなかったし、コンスタンティノープルを スラブ人はツァーリグラッド、当のビザンツ人は単に「ポリス」と呼んでいたこと、とか、ローマ帝政期には口語では 名前の「〜ス」という語尾を省略して「〜オー」とする乱れがあったとか(アントーニーヌスはアントーニーオー)、 また、たとえば小プリニウスのトラヤヌ スでの書簡には、皇帝への呼びかけとして「ドミネ」という語が出てくる様ですが(原文を確認したわけではありませんが)、 こではキリスト教のドミネと同 じだと思われます。 こうしたことを知るだけでも当時の世界や視線に近づいたような気がします。
これは現代の話ですが、イランでパルティア人のことを「アシュカニアン」と呼んでいることとか、 (イランで歴史関係者以外の人々に「パルティア」と言って通じなかった)。歴史学的には些細なことではあっても、 当時の世界再現ということでは結構重 要なことであると思うのです。
混乱すると困るので当ページではおおむね既に慣用となっている言葉を利用しますが、 本当なら全 部名前は原音に忠実にしてしまいたいところです。*1ラテン語にはドイツ式発音とイタリア式発音とがあり、これはイタリア式を採用した場合の 話らしい。ドイツ式だと「カエサル」「キケロ」となるらしい。現代ドイツ語のカエサルは「ツェーザー」というのだそうです。
話がそれますが、 日本で出版される中国の歴史関係の本や新聞は全部原音でやって欲し いと思っています。 大前研一氏も言っていますが、 日本語の発音で教育を受けているので、 外国人と(英語で)話す時発音がわからないことが多く、 結局覚えなおしなの で大変でです(相手が中国人の場合は筆談で済)。 今後出版される中国関係の歴史書と新聞はルビを現代中国発音でやって欲しい(古代発音は難しいか もしれないが)と思うのです。もっともこれも限界があるとは思いますが、カタカナ英語が英語スピーカとの会話で通じないが、まったくつうじることもある くらいは 効果があると思うのです。
我々はパルティアとかビザンツという言葉に馴染んでしまい、 このページでも便宜上これらの単 語を遣いますが 、当時の世界では住民も周辺国家も ビザンツなどという言葉は遣わず、少なくとも現代の我々が遣う意味としては「ビザンツ」という単語す ら存在していなかったのではないかと思います。
たとえば、ドイツ連邦共和国を我々は「ドイツ」と呼びますが、ヨーロッパの多くの国では「アレ マンニ」とよび、 スラブ系民族は「ネムスキー」と呼び、 一部の国は「ジャーマン」、そしてドイツ人自身は「ドイッチェ」と呼ぶ。 1000年くらい 経って、殆どアメリカの史料しか残らなくなってしまったとき、 未来の人々は「ドイッチェ」という単語すら知らないという事態が起こらないとも限りませ ん。
我々日本は中国語のジ(リ)ーベンがジパング、ヤパン、ハポン、ヤポニア、ジャパンと訛っただ けでドイツに比べれば大したことはありませんが、 それでも未来になって「ジャパン」しか残らず、歴史好きの人々に「ジャパン」と自称していたかの様に思 われてしまうのはちょっと悲しいことだと思います。
だからといって、ビザンツは論外にしても「パルティア」などの語は当のパルティア人は使ってい ないにしてもローマ人ギリシャ人は使っていた言葉であり、 「パルティア」という歴史の重要な構成要素です。 ある社会を研究する時は、その社会だけを対 象として研究していればよいのではなく、 周囲の社会がどう見ているかも、既にその社会の本質を構成する一部であると思います。
舞台は古代なのに 登場人物の思考方法がすっかり現代人というのは時代もの、だと考えてますが、実際の作品で純粋に歴史もの、純粋に時代もの、 というものは無いと考えています。 このテーマに関する記述を阿刀田高氏が「新トロイア物語」(だったけ。タイトルよく覚えていない)の後書きで議論されていたと思います。阿刀田氏は 歴史に忠実過ぎると現代人の我々には何をしているのかすっかりわからない行為を記述することになる」という様なことをおっ しゃられていました。 氏は結局、現代人に理解できる方法で小説を記述することにしたとのことですが、私がこのページで追求したいのは、「何をやっている のかわからない」という方です。
本サイト作成時に、最も影響を受けたのは益井朋幸氏「地中海紀行 ビザンティンで行こう」(東京書籍1996年) です。写りも印刷もよい写真が豊富で解説の図版も適切で、文章もこなれていて、私は歴史紀行というものはこういうものでなくてはいけない、と強く影響され ました。
遺跡訪問記については、当時の住民がどの様な景観を見ていたか、ということも非常に重要だと考えており、遺跡そのものよりも、「遺跡から見た景観」がメインになってしまっているもの もあります(典型的な例はコリン トスのベネチア要塞)。
・ 当時の景観を掘り起こす目的の遺跡写真ですが、遺跡の殆どは石やレンガ、泥で出来ています。 多くの遺跡は当時はストゥッコや漆喰で塗り固められていて、今我々が眼にする概観や内装とはまったく異なっていたことを常に念頭に置いていないと、大 きなイメージの差異が発生してしまいます。 例えば古代ローマの建築はパンテオンがほぼ完全体で残っており、皇帝宮殿などは現在剥き出しのレンガですが、 実際はパンテオンの内装をイメージしたほうがよいらしいとのこと。
遺跡のページのお薦め度・規模の見方
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中には一つの場所に複数の時代・国家の遺跡がある場所がありま す。 そうした場合、個別には「C・小」であっても、全体としては「A・大」となる場合もあります。 更に歴史とは関係ない、一般の観光地としてもすぐれた・訪れる価値の高い場所もありますのでご注意ください。例えばマケドニアのオホリドはローマ・ブルガリア・セルビアの個別の遺跡・遺物があり、どれも規 模は小さいが、 全体からすると「A・大」だったりします。 |
あんまり堅いことを言うのは嫌なのですが、以下の内容をお願いいたします。
・ このページでは遺跡訪問旅行をお薦めする内容になっていますが、準備や下調べは万全にお願い します。 万が一事故に遭われた場合には責任をとることは出来ません。 ご了承ください。
・ リンクはご自由に、TOPでも各HTMLでも、どこでもどうぞ。
・ 写真の解像度も悪いし、素人の写真ですのでありえないとは思いますが、 商用目的の転載はご 遠慮ください。 また、非商用でも、引用、転載時には、できれば、ご連絡いただければ、と思います。とはいえ、基本的にはどんどん転載、引用をしていただ けたら、と思います。最近思うのですが、ディスク上の情報は、転載されないと、長期間生き残らない、と思うようになりました。中世に置いて、 筆写されつづけたからこそ、長期間情報が生き残ることができたわけです。情報が流通することこそが、情報自体の生き残りのために必要なことだと思うので す。
・ とはいえ、一応このHPの記事・写真の著作権は作者にあります。
素人の歴史オタク。
1)履歴 1966年生まれ。 学生時代は歴史学専攻(理論社会学、文化人類学、構造主義)。
2)職歴
コンピュータ ソフト会社に就職。 1995年-98年会社を退職して青年海外協力隊にて ブルガリアの教育機関でInternetとLANの教育・インフラ整備を行う。現在米国コンピュータソフト会社日本法人勤務。2007年6月-2009年10月まで中国駐在。勤務先がソフト会社の割には、このHPはローテクでできているが、気にしていない。 3)歴史関係
当HP以外の興味の対象
西ゴート、ヒッタイト、インド=ヨーロッパ語族、古代ア ラビア半島(あんまり詳しくないけど)、ケルト(全然詳しくないけど)、 ハザール、サファビー朝、ウマイヤ朝、後ウマイヤ朝、ファーティマ朝、イタリア、ドイツ、コーカサス諸国等。 + だいたいどこでも。基本的に平和な時代(なので三国志とかはあまり興味なし)。
気に入っている歴史小説/映画
ユルスナール「ハドリアヌス帝の回想」/エーコ「薔薇の名前」/フェリーニ「サテリコン」/パゾリーニ 「王女メディア」
歴史に関係が無いけど、気に入っている小説・映画
「コヤニスカッティ」/ 「惑星ソラリス」/「2001年宇宙の旅」/笠井潔「矢吹駆シリーズ初期3部作」影響を受けた学者・作家など
アルフレッド・シュッツ、ピーター・バーガー、デュルケム、ニーチェ、ドストエフスキー、バタイユ、ロバート・ニスベット「歴史とメタファー」、エーコ「薔薇の名前」など4)ポリシー・好きな言葉など
・ポリシー
なにごとも相対的。文化相対主義者といわれたことは無いのですが、多分私は文化相対主義者です。・好きな言葉 前向き・疾走 / 嫌いな言葉 常識 / よくかみ締 める言葉 自業自得
・座右の銘 無知は誰かを傷つける/百聞は一見に如かず/自分がされて嫌な事は人にはしない
・嫌いなもの 差別・偏見・あらゆるイデオロギー・自身を相対化できていない正義・公正意識
5)好きなもの
ゴウゴウと吹きすさぶ風の音(1970年版「嵐が丘」のラストの荒涼とした丘に吹きすさぶ風)とか、荒々しく打ち寄せる波(「映画「インテリア」のラストで出てくる夜の波とか)
6)歴史学への態度
現在の何かを正当化する為の歴史は、「歴史学」では無く、政治の一部です。一方、歴史学の成果物は、その社会内の産物であることから、成果物を生み出した時代の社会の価値観や方法論、投資などの制約を受けています。それ故に、歴史学は、現在社会の既存の価値観を相対化すること・自明のことのように思われ、無意識だった現在の社会構造を、過去にさかのぼって明らかにするこそに意義がある、と考えています。同じ年代で、空間的に、価値観の相対化を行うのが文化人類学であり、歴史学は、時間をさかのぼることで、価値観の相対化を行うもの、と考えています。