北アジア・日本・韓国・東南アジア書籍書評


世界のなかの日清韓関係史-交隣と属国、自主と独立 (講談社選書メチエ) (単行本)

☆☆☆☆ 岡本 隆司


   
 

 朝鮮は本当に中国の属国だったのか?が知りたくて読みました。すると、現代的概念の属国とは違う「属国自主」という関係だったとありました。これは当時 の列強にも日本にも理解しがたい概念だったようで、英訳でも「属国」は「 a state tributary to China」、「自主」は「full sovereignty」であり、従属国「vassal state」ではない、としていたとのこと。あくまで私の理解ですが、「属国自主」についての解釈は清・朝間でずれがあり、「属国」とは朝鮮にとっては清 が朝鮮を外敵から守る今の日米同盟のようなもの、清にとっては多分に名目的なもの(しかし非常に重要)、「自主」とは基本的に主権国家を意味していたが、 列強の干渉が強まりだして以降、清は従属国として扱いだす、という意味の変化が見られ、更に双方「属国」と「自主」を局面で使い分けていた為、簡単には理 解しがたい概念・関係だった、ということのようです。

 このような認識の相違は、1870年前後、開国を迫る列強に対して、清は「自主」を強調し、「一切の国事は自主にまかす」と言い、朝鮮側は「属 国」を強調し、「勝手に異国と関係を結ぶことはでき無い」と、双方(開国という)面倒を避ける方便としたり、或いは日清戦争で敗北して朝鮮の軍事的保護者 の地位から陥落し、朝鮮にとって「属国」の意味が無くなった時点でも清は「属国」は放棄しなかったという事例に見られる。更に欧米列強も「属国自主」の 「自主」を、朝鮮を緩衝地帯として位置づける方便として認識し始めるなど、「属国自主」は様々に利用されたとのこと。

 しかも清が「属国」を放棄した後は「独立自主」という概念・関係が登場し、これも日本と朝鮮で認識のずれ(「自主」とは日本にとっては中立国 化、朝鮮にとっては主権維持、「独立」とは朝鮮にとっては文字通り独立、日本にとっては「名目的独立」)があったとする。当時の属国/自主/独立の概念整 理に役立ったが、時間が前後する記述が多く刻々と変化する情勢の理解には混乱した。 19/Jun/2010


日本人のアジア認識 (世界史リブレット) (単行本) 並木 頼寿著 山川出版社 ☆☆☆☆☆


   
  明治時代の知識人達が、日本のアイデンティティをどのように捉えらえていたかについて論じています。しかし、本書の内容は、当時の知識人の認識は、日本 は「アジアか欧米か」という前向きな議論であるよりも、中華圏か欧米圏か、という論議となっていて、「中国は酷い。こんなやつらと一緒であってたまるもの か」という後ろ向きな観点で「日本はアジアでは無い」、という方向に行ってしまっていた、ということのみが強く印象に残る書籍となってしまっているように 思えました(ちゃんと欧米と日本の共通点を評価している部分もあるのですが)。更に印象的だったのは、現在の反中国派の方々が持つ中国人蔑視の諸観点と、 明治時代の清朝人蔑視の諸観点が、ほとんどと言っていいほど共通している点です。これはつまり、

1.現在の日本の反中派の中国人蔑視の諸観点は、明治時代に形成されたものがそのまま引き継がれ、再生産され続けている
2.明治時代も今も、中国社会の本質に変わりは無い

のいづれかか、或いは両方であるということを意味しているのではないかと思います。
このように、現在でも盛んに行われている、日本は東アジア圏か、欧米圏か、という論議は明治時代からあり、特に中国蔑視の筆頭とも言える論客が福沢諭吉であったことに驚きました。ところで、同じ世界史リブレットシリーズの朝鮮からみた華夷思想 (世界史リブレット)で も、明朝時代の中国を訪れた朝鮮人の役人が、賄賂の横行や、北京最高学府の荒廃ぶりの指摘が引用されています。この朝鮮の件と明治日本の共通点は、中国文 化の最も優れた部分のみに注目し、それが全てだと思い込んでいるために勝手に幻滅している、という点にあるように思えます。これは、19世紀初頭、ギリシ ア独立運動に参加した西欧人が感じた幻滅にも共通するものであるように思えます。つまり、本書を読んでの結論は、「幻滅するものと一緒にされたくない」と いう心理がアイデンティティ問題には必ずつきまとうのかも、と思った次第です。   19/Jan/2010

 

日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか (講談社選書メチエ)

小谷 賢著 ☆☆☆☆☆


   

他の評では言及されていないが、日本軍が情報を有効活用し善戦した事例があるといっても、それは戦術面に限られていた点に問題があった、と著者は指摘して いる。第1次大戦で戦争は、「幾つかの戦闘で勝利->有利な講和」という(明治開国当時日本が参考にした当時のドイツがよく利用した)手法から総力 戦に移行したが、参戦しなかった日本は、総力戦にあわせた変更ができなかった。この為、マレー・シンガポール作戦や真珠湾という「戦術」では勝利したが、 国家レベルで戦略の検討ができなかった為、「真珠湾が成功すれば米国に厭世気分が広がり講和できるだろう」(山本長官)と主観的希望を戦略と履き違えてし まったことにある。衝撃的だったのは、内閣府の総力戦研究所で、1941年夏に軍と若手官僚が行った図上演習で、「開戦から2年程度は戦えるが、4年後に は国力を使い果たし、最後にはソ連の日ソ中立条約破棄による満州侵入で日本は敗北する」との結論を出していたことである。この結論を、東条は「机上と実践 は違う」とここでも主観的希望を述べて一蹴。

 また内閣・陸軍・海軍・公安などがそれぞれ情報機関を持った結果のセクショナリズムも問題ではあるが、それ以上に問題なのは、「コンセンサスを 得ること」が優先され、その為に有利な情報が取捨選択されていく、という、現在の日本社会にも蔓延する風土であろう。あなたの職場でも目にしませんか?

 昨今の政治の迷走振りを見ていると、重要な政策議題も末節的な反対論議に時間を費やした挙句、葬られるか骨抜きにされていく。多少データを使う 政治家も出てきているが、本書にある通り、政策ありきで利用されているだけの趣が強い。既に衆遇政治の段階に入っている様に思えるが、多極化が進み情報が 飽和する世界の中、インテリジェンスに基づく判断は国家でも個人でも必須化しつつあると思えます。

17/May/2008

 
「興亡の世界史 スキタイと匈奴」 講談社
☆☆☆☆

    
 内容は、「岩波講座 世界歴史3:中華の世界と東方世界』の中に掲載してある「草原遊牧文明論」と、朝倉書店「講座文明と環境6 歴史と気候」に掲載された「フン族あらわる」 に発表された内容が、一部ほぼそのまま流用されています。流用はいいのですが、前掲書の記載の方が、ページ数は短いけれども、簡潔で、切れ味があり、文章 として引き締まっていた感じです。特に「フン族あらわる」は、これまで何度も読み返しており、アンミアヌス・マルケリヌスに登場する、アラン族を攻撃した 謎の民族の登場にまつわる書き出しから、、最新考古学状況を踏まえたラストの仮説に至る論述は、スリリングであり、締めの文章は鮮やかな印象をもたらし、 読ませるものがありました。本書は、多少専門的な両書よりも、一般読者向けの、より親切な文章を目指した為、多少冗長な印象を与えることになってしまった のかもしれません。機会があれば、両書の林氏論述も、一読されることをお勧めします。

 それにしても、近年の考古学の成果は、スキタイの起源を東へ追いやり、あたかも匈奴の先行者のごとく、東から西へ大規模に移動した最初の遊牧民なのでは ないか、との仮設を立てることができる段階まで来ていることに驚きました。また、スキタイの文字史料としてヘロドトス以外に、アッシリア史料などにも言及 されていて、新たな知見が多く記載されています。著者も記載していますが、年々新たな考古学成果が生まれており、今後も研究に期待できそうです。10年 後、最新の研究成果で改定された本書を読んでみたい、そんな気にさせられました。
14/Nov/2007


講座「文明と環境 第6巻 歴史と気候」 朝倉書店
☆☆☆☆

    
 論文集の形をとっているが、鋭い考察や、なかなかの名論説、名文が多 く、珍しい図版資料などが豊富に掲載されている。10ページ程度、長くても14ページの全17章が、多彩な時代、地域を扱っている。この長さであるため、 論文程深い論述ではなく、さわりの部分を紹介した、各種論説紹介パンフレットの色彩が強い。肩が凝らない程度に、気軽に視点を変えた歴史分析にふれること ができる。この点が、本書最大の価値と言える。

 少し紹介すると、例えばササン朝と初期イスラム期の南イラクの水路地図。Adamsの研究は、本書が無くては、永遠に知ることが無かっただろう。紀元 639年と742年の唐の州別人口密度地図の比較。西嶋定生氏「秦漢帝国」所収前後漢の郡県別人口密度地図と比べてみると面白い。渤海日本間使節の季節分 析、アンコール朝、マヤ、チベット、古代オホーツク、ヴァイキング、長岡京、古代から20世紀に至る1世紀毎の韓国気候変動表など、ヴァラエティに富んだ 対象は、どこから読んでも楽しめる。

 中でも何度も読み返したのは、林俊雄氏「フン族あらわる」。簡潔な記載の中に、フン族登場の歴史記録から、最新考古学状況を踏まえたラストの仮説に至る 論述は、スリリングであり、鮮やかな印象をもたらした。氏のフン族の論述は、興亡の世界史「スキタイと匈奴」にも一部流用されているが、本書の切れ味には かなわない。もちろん、文章は読者との相性もあるが、論述であるにも関わらず、氏の文章に酔わされて、何度も読み返した。値段は高く、各編優劣あるが、世 界を広めてくれた付加価値の高い良書である。安易な文明論に陥らず、気候と歴史の関係に関する地道な研究と新たな視点と知見が得られます。
14/Nov/2007



物語ヴェトナムの歴史 中央公論社
  ☆☆☆☆

   
 他の人の記載の通り、本書の最大の価値は、日本で馴染みの少ないベト ナム史の手ごろな入門書という点にある。なので、細かい荒を指摘しても仕方がないが、長所の指摘は他の方にゆずり、ここでは少し短所を記載したい。

仕方がないとはいえ、北部の歴代ベトナム王朝中心の歴史となっている。1500年以上現ベトナム南部を支配したチャンパーの記述量は、15もの王朝が興亡 し、壮麗な遺跡が残り、歴代王名も殆ど判明しているにも関わらず稀少である。この手の通史にお約束の歴代国王一覧や系図がない。地図や図版も少ない。中国 風衣冠装束の北部王朝と、インド的なチャンパー王の図像がひとつでもあれば、随分とイメージが沸いたのではないか。李朝末期の章に登場する簒奪者の甥と、 次章で語られる陳朝初代と同一人物だとは、なかなかわからなかった。黎朝初代の黎利は、本文に漢字名の記載がなく、他の王の記載と不ぞろいである。

しかし、これは瑣末なことである。陳朝初代王が残した次のような回想を知っただけでも、私にとって本書の価値は高い。

「帝王になったときはまだこどもだったが、それ以来、わたしは自由になったことがなかった。両親は既にこの世にはいない。わたしにアドバイスを与えるもの は誰もいない」そうして王宮を抜け出し、山に入り、聖人に諭される。「わたしは王宮に帰った。わたしの意志に反して王としての仕事を続けている。あれから 数十年たった。いま、暇なときに、年をとった人たちを集めて、禅の教義と経典を勉強している。経典を勉強していると、いつも「あなたのこころをなにものに も固定させない」という言葉が目にとまる。私は本を閉じる。長い瞑想にふける。啓発がある。これが禅なのだ、と思う」
11/Dec/2007

 

 
アジアの帝王たち    中公文庫 植 村 清二 (著)
☆☆☆☆☆

   
  これまで誰もレビューを書いてなかったなんて、ちょっと信じられません。ここに登場する各人は、それぞれ史上に大きな足跡を残しながら、伝記的記載となる と、世界の歴史全集の中の記述に埋もれてしまう人が多いのではないでしょうか。
この書籍の特徴は4点あると思います。
1.各帝王誕生の時代背景として、時代の区切りとなる前時代について説き起こしているので、その時代の歴史について、簡単に理解することができる
2.世界史全集では省かれがちな、前半生についても、きちんと記載されている。例えば唐太宗が戦陣で、項羽ばりに先頭に立って戦った騎士時代の話など
3.当時の国際関係の意識を図る記載が多々見られること。例えばアショカ王では、王がセレウコス朝や、プトレマイオス朝、マケドニアなどへの派遣した使節 に言及し、当時の国際意識を垣間見ることができます。始皇帝の項では、シナの語源について中央アジア説、南方説などを検討しています。

9人のうち5人が中国皇帝であるけれども、それゆえ、東洋史というと、中国史に注目が集まり勝ちな中で、インド史上の2大帝王、中央アジア史上、イラン史 上最大の支配者にも注目を与える機会を提供しているという点で、文庫本としては、非常に非凡な書籍だと思います。内容は非常に充実していて、作者は、書き たいことを殺ぎ落とすことに労力を使ったのではないか、とさえ思える程熱意と充実を感じます。
欲を言えば、古代イランの帝王ダレイオス、ホスロー1世、インドのサムドラグプタ王なども入れて欲しかったところです。できれば続編を出して欲しかったと 思います。
22/May/2006



夜の虹 長岡良子 秋田書店,
☆☆☆☆

   
  長岡良子の古代幻想ロマンシリーズは、大正時代シリーズと並んで長岡良子がもっとも油の乗り切った時期の傑作だと思う。中大兄皇子の時代から藤原仲麻呂ま での時代を描く連作短編、古代幻想ロマンシリーズは、天智を理想とする藤原鎌足、田辺大隅らの流れが、天智天皇没後権力を握った大海人皇子(天武)の時 代、裏面に追いやられ、天武‐大友皇子及び持統以外の側室の子が勢力を持った時代に、密かに暗躍し、陰謀を巡らし、ついには藤原不二等という傑物を得て、 再び天智系が権力を掌握して模様を、個人の夢や希望を容赦なく叩き潰す政治の非常な救い様のない殺伐とした流れを、諦念と詩情とが混在する筆致で華麗に描 いた歴史絵巻といえる

 この大河物語の主軸はそうした様々な登場人物達の運命を描いた傑作であることは勿論だが、当事の歴史のもう一つの流れ、集権的国家が誕生し、政府の統治 から阻害されてゆく様々な異形の者たちの運命や桎梏についても描かれている。不二等らは律令の制定に伴い、人民を完全に国家の管理下に取り込む政策を推し 進める。これに反抗するのは、異形の者達、山人、遊民、そして役の小角に代表される超常力者達である。彼らは国家と正面切って闘争をするような勢力は持た ない。せいぜい陰謀に荷担し、歴史の表面に顔をだすことなく、流れの中に埋没し、不二等らの推し進める律令体制に収まりきらす、どこか遠くへひっそりと身 を隠して行く。

 本作「夜の虹」は、この大河物語の各テーマが集約された、連作物語のピークともいうべき場所を占める。若い時の希望や夢を押しつぶされ、骨の髄までマ キャベリストとなって次々と策謀を巡らす不二等と、消え行く異形の民たちの対立。新しい時代の体制の元、締め出されたのは彼らだけではない。それは天智時 代の再現を望みながら、実際には法と鉄と血で塗り固められた国家を作り上げる結果となってしまった彼ら自体の目指した天智時代というユートピアをも締め出 すことになったのである。天智時代とは異形のものも含んだ、明暗併せ持つ一つのユートピアであった。作者はそれを「夜の虹」という現象に象徴させているか のようだ。ラスト不二等は語る。
 「夜の虹か。私には見えん。見る必要もないものだ」
異形のもの、超常力とともにユートピアもまた現実の国家運営には必要が無い。こうして神話とロマンに満ちた日本の古代は終わる。
ロマンや悲劇という娯楽要素とともに、フーコーの「監獄の誕生」をも思わせる奥の深い作品「夜の虹」。歴史マンガの傑作である。
2/27/2004