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いつの間にか70年の歳月が過ぎ古希を迎えることになったトシマルは、この70年を総括

するための私的展覧会を12月の17,18,19 日、柏アミュゼでやることにしました。

どんなものになるかまだ構想中ですが乞うご期待。

参考までに自分のライフヒストリーと社会的事件を並べてみてどんな時代であったかを

振り返って見ようとしました。あなたはどんな時代を生きてきましたか。

            私の70年                                             丸 山 敏 郎 

                                           時代背景

 0歳 1940年 昭15年 6月14日荒川区日暮里に生まれる、父繁 母かつ                第二次世界大戦の最中

            家業はミシンの製造・販売

            父親は頑固な職人気質で時に暴力的、外面はにこやか社交的。

            母親は知的で温和。

 1歳  1941年 16年 茨城県北相馬郡岡村延命寺下に疎開、間宮林蔵の故郷

            丸山家の祖先は平将門の7人の影武者の一人で延命寺に

            七騎塚があった。 

 5歳  1945年  20年  取手町白山前弘経寺山門脇に移転                         東京大空襲

                                                              広島・長崎に原子爆弾 敗戦

 7歳 1947年  22年  取手町立小学校入学、                                 日本国憲法施行

              2学期東京都荒川区日暮里真土小学校へ転入

 8歳 1948年 23年   2年生 鉄棒から落ち、肋膜炎になる

              病弱 学校を休みがちで放課後先生の個別指導を受ける            1950年 朝鮮戦争 レッドパージ

12歳 1952年  27年  6年生 扁桃腺炎手術 米駐留軍従業員に英語を学ぶ             日米安全保障条約締結   

13歳 1953年  28年  真土小学校卒業、荒川第八中学校入学、実母死亡(49歳)           第五福竜丸ビキニ環礁で被爆

14歳 1954年  29年  科学部植物班で松川先生の指導を受ける                     原水爆禁止運動起こる

16歳 1956年  31年  荒川第八中学校卒業、都立足立高校入学、父再婚                イタイイタイ病公害訴訟

17歳 1957年  32年  語学部、原口、間先生の指導を受ける

18歳 1958年  33年  生徒会長、語学部部長、

19歳 1959年  34年  都立足立高校卒業、浪人、研数学館予備校生

20歳 1960年  35年   早稲田大学教育学部英語英文科入学、祖父(末吉)死亡             日米安保反対闘争激化

21歳 1961年  36年   取手町に姉米子と住む サルトルの実存主義に傾倒                実存主義哲学流行 

22歳 1962年  37年  早稲田ESAに所属 YMCA絵画研究所 ビュッフェの影響

23歳 1963年  38年  寛永寺坂美術研究所に通う、4月瑠美(妻)と出会う                  黒人公民権運動 ケネディ暗殺 

24歳 1964年  39年  早稲田大学卒業、 卒論「ウイリアム・フォークナー」

              千葉県立東葛飾高校の教諭となる

25歳 1965年  40年   1G担任、分会中央委員(1)                                                 米ベトナム干渉戦争

26歳 1966年  41年  2C担任、1月結婚、10月長女香織誕生 日教組大会参加                日本のGDP世界2位に 戦争特需

27歳 1967年  42年  3C担任、                                                                   1968年 キング牧師暗殺 大学紛争

29歳 1969年  44年   1G担任、東葛支部年青年部長、新英研加入、岐阜教研参加            アポロ11号月面着陸

30歳 1970年  45年   2C担任、高教組青年部執行委員、生徒会顧問、教育改革              高校の学園紛争激化 

               東葛飾高校は生徒会の民主的討論を積み上げ改革を図る             大阪万博 バブル好景気

31歳 1971年  46年  3A担任、12 月長男俊介誕生、原水禁大会参加                            沖縄返還協定

32歳 1972年  47年  地区労幹事、拍でベトナム反戦青年委員会を組織

33歳 1973年  48年  1H担任   柏市平和委員会で米軍基地撤去を訴える                  第一次石油ショック 

34歳 1974年  49年  2C担任、                                             米軍ベトナムで敗北

35歳 1975年  50年  3F担任、全校委員会顧問、11月盲腸手術(田中農協病院)                南ベトナム政府降伏

36歳 1976年  51年  分会中央委員(2)、9月姉死亡、                               田中角栄逮捕

37歳 1977年  52年  1G担任、4月〜取手市白山の家新築、

38歳 1978年  53年  2C担任、ルンケ(ノールウェイ)留学生

39歳 1979年  54年  3D担任、写真開始、アサヒカメラ予選通過4回、                                     第二次石油ショック

40歳 1980年  55年  分会中央委員(3)                                                                                  ジョンレノン射殺される

41歳 1981年  56年  7月父繁死亡(83歳)

42歳 1982年  57年  東葛支部支部長、ヨーロッパを1ヶ月旅する 車購入    

43歳 1983年  58年  俊介と車で北海道一周、スキー・テニス開始、嬬恋山荘購入                       国鉄民営化

44歳 1984年  59年  1E担任、学年主任、夏休み俊介と山荘ですごす

45歳 1985年  60年  2G担任、    〃     ワープロ、東葛高校で陶芸開始                                 広島長崎アピール

46歳 1986年  61年  3F担任、    〃     山荘近くで交通事故被害                                       チェルノヴィリ原発事故

47歳 1987年  62年  13KW陶芸電気窯購入

49歳 1989年平成1年  我孫子高校に配転、痔手術(植竹病院で卒業生執刀)                           ベルリンの壁崩壊

50歳 1990年   2年  東葛支部支部長 千葉新英研会長   俊介大学入学                             湾岸戦争 バブル崩壊

51歳 1991年   3年  8月 半月板手術(慈恵医大病院)                                            経済不況始まる

52歳 1992年   4年  庶務部長、東急ストアで「花と器展」、                                            地球環境サミット

53歳 1993年   5年     〃     TOEFL(570点)、スキーで骨折、母キク癌手術                                  自民党分裂 細川内閣

54歳 1994年   6年  香織結婚、俊介就職、取手洋画クラブに加入                                ネルソンマンデラ南アの大統領に

55歳 1995年   7年  母キク死亡、初孫恵美香誕生                                             地下鉄サリン事件 阪神大震災

56歳 1996年   8年  3月退職、6月俊介結婚、9月ニューヨークSVA留学

57歳 1997年   9年  8月「TOSHI IN NEW YOR」展、9月再びニューヨークへ                       京都議定書採択 

58歳 1998年  10年 5月留学終了帰国、留学体験記上梓 取手市民会館で報告会               インド・パキスタン核実験

                 7月よりギャラリーハウス建築、10月陶芸教室開設

59歳 1999年  11年 1月ギャラリー白山窯オープン 4月孫瞳誕生 愛犬ジョニー                    日の丸・君が代法制化

60歳 2000年 12年 5月ホームギャラリー展                                              IT革命?

              7月軽井沢展 9月中村家展 11月広島・尾道を旅行

61歳 2001年  13年 孫浩紀・美里誕生 5月ギャラリー展 8月軽井沢展                           ニューヨーク9.11

62歳 2002年  14年 詩の朗読 5月ギャラリー展 8月軽井沢展                                 米イラク攻撃 小泉政権構造改革

              10月守谷かやの木コンサート(陶芸とシャンソン)

63歳 2003年  15年  4月劇症肝炎入院、5月ギャラリー展 、                                    イラクフセイン体制崩壊

              9月C型肝炎と判明、インターフェロン治療で完治

64歳 2004年 16年 新現代詩会員になる、詩集「励ましの言葉もなく」編集                        規制緩和政策で不安定雇用が増大

              10月ギャラリー展

65歳 2005年  17年  嬬恋別荘に陶芸工房建設 取手アートプロジェクトに参加                   小泉首相による郵政民営化選挙

66歳 2006年  18年   9月ホームギャラリー展  盟友黒田先生逝去                              北朝鮮地下核実験

67歳 2007年 19年 10月ホームギャラリー展 TAPオープンスタジオ      

68歳 2008年 20年 アート未来展(新国立美術館)に「蘇るアンモナイト」出品                      中国四川大地震

             「縄文アンモナイト紋大鉢」で取手市長賞                                       経済不況で自殺者3万人超 派遣村

69歳 2009年 21年 アート未来展に「アンモナイトタワー」出品 炭窯開始                        民主党政権誕生      

70歳 2010年 22年 70年回顧展を柏アミュゼで開催

 近頃、[勝海舟]にはまっている。

きっかけは、テレビドラマ「仁」で、現代の外科医がタイムスリップして江戸時代に活躍するというナンセンスな話だが、そこに登場した小日向が演ずる勝海舟のばりばりの江戸弁が小気味良くてすっかりほれ込んだのだ。

江戸幕府の海軍奉行である海舟が、江戸庶民とどっぷりなじんで分け隔てなく付き合う姿が小気味いい。

小生も東京は荒川区日暮里の下町で、勝海舟は本所深川の生まれだ。なんか親近感があった。

そこで小西四郎の「勝海舟のすべて」とか、半藤一利の「その後の勝海舟」とか、時代劇風の小説とか、そのすべての元になっている勝海舟自身の放談集「氷川清話」とかを片っ端から読んだ。

実に面白い期待通りの男であった。

祖父は盲人でその特権を使い、賭博場で金貸しをして巨額の資産を得、旗本の株を買ったしたたかな男だ。父親小吉はいわゆる極道の限りをつくし旗本でありながら一家を貧困のどん底におとした。それでもやくざの親分のように喧嘩の仲裁がうまく、浅草あたりでは庶民にしたわれていた。

詳しくは「勝海舟のすべて」にかいてあるので省略。

何よりも小生がすごいと思ったのは、かの有名な「江戸無血開城」の顛末もさることながら、

明治政府で伯爵の地位を得ながら、日清日露の戦争に真っ向から異を唱えて、具体的にそれを回避するべく彼なりに全力を尽くしていたことだ。またそのことを歴史が完全に黙殺しているという事実。

西欧列強の侵略からアジアを守るとか言って、自ら朝鮮中国を領有して西欧の植民地主義のまねをしたにすぎない明治天皇制の時代を美化する「坂の上の雲」ブームに乗せられた昨今の新ナショナリズムの潮流にちょっと待てよといいたい小生にあの時代にも100年後を見据える慧眼の才子がいたことを知ってしまった。

と同時に一万円札になって仰がれている福沢諭吉大先生(実は小生もつい最近までそう思っていた)が、朝鮮人やシナ人を口汚く軽蔑し、彼らに自治能力がないから、日本が朝鮮やシナを「処分」しなければならないと新聞の論文で堂々と述べ、その後の朝鮮併合などに進軍ラッパを吹き鳴らした張本人であることを具体的資料でつきとめた。

日本がなぜ欧米列強と戦争し、手ひどい敗北をし、いまだに中国、朝鮮の人々の

恨みを買い、われわれもいまだに中国人や朝鮮人に反感を抱いているのは何故か

の答えを見つけた様な気がする。

勝海舟は当時「三国連従」をとなえ、中国や朝鮮の内紛に介入せず、対等平等の

関係で海軍による防衛(それも外交交渉で)を唱えていた。

歴史を戻すことはできないが、福沢諭吉先生に踊らされた日本人の思い上がりが

とんでもない犠牲を幾百万にしいてきたと思う。さらに、反省のない日本人が

今度はアメリカの尻馬に乗って、ベトナム、朝鮮、イラク、アフガンを苦しめている。

歴史は繰り返すというが、日清日露の時点から考えてみる必要性があることを

勝海舟が教えてくれている。

高文研の金文子著「朝鮮王妃殺害と日本人」も朝鮮を知る上で必読書としてあげたい

。突如、歴女ならぬ歴じじいになったトシマルより。

余談:テレビ竜馬伝は面白いが、博多弁なまりの武田鉄也の勝海舟はいただけねえ。竜馬の大活躍は勝先生の手のひらの上の話。勝先生いわく、「若く元気な奴はうんとほめて大志を持たせなきゃいかん」(多少捏造)。先生としても立派だね。おわり。>>>

 

 

 

 

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