Toshi
in
NewYork
熟年ニューヨーク美術大留学体験記
TOSHIROU MARUYAMA
ニューヨークだより NO.1
9月 5日 1997年
米国大使館に出頭を命じられるの巻
みなさんお元気ですか。私は、後5年を残して中途退職をし、
念願のアメリカ留学を果たすべく、ニューヨークに参りました自称、TOSHI MARUYAMA です。
英語教師のかたわら、美術が好きで、油絵や、陶芸を手掛けてきて、
第二の人生は芸術家になりたいという夢をいだいていました。
ENGLISH と ARTS を結び付ける接点として選んだのが、ニューヨークでの美術修業です。
勉強嫌いな私が、にわか受験勉強をして、TOEFL (国際的な英語力認定試験)でかろうじて 570点を取り、
550点を最低基準とするアメリカの美術専門大学(4年制)
SCHOOL OF VISUAL ARTS (以降 SVA と書きます)になんとか入学を許可されました。
もちろんスライドによる作品提出や、エッセイや、校長先生の英文推薦書や、銀行の残高証明書など、
すべてが選考材料になったはずです(大学選択に用いた資料や、
提出の手順など参考までに巻末に載せましたので、興味のある方はごらんください)。
留学ビザを旅行業者(私の姪)を通じて申請したところ、
驚いたことに、事前面接で通らないとダメということで、渡米の前日に、アメリカ大使館に呼び出され、
渡航目的や、経済的裏付けやらを英語で説明する羽目となりました。
私の教え子たちは、かつて私が熱心に取り組んでいた米軍基地撤去など、政治活動のせいで、
CIAがストップをかけたなどと脅すものだから、一時はダメかと思いました。
なにしろ、目の前で何人もの留学予定者や就労希望者が落とされ、
泣きながら抗議している光景を見て絶望的4時間が過ぎていきました。
私の番が回ってくると、それにめげないように、にこやかに面接官にグッドアフタヌーンと挨拶しました。
彼(日系アメリカ人らしいが、物腰も発音も完全にアメリカン)の第一の質問は、
何故 SUCCESSFUL JOB (おそらく教師としての収入をいっているのであろう)をなげうって留学するのか、
と言うことでした。
私は、作戦どおり、経済的側面は軽く答えて、
自分のアーチストとしてのキャリアーと、アメリカの現代美術の素晴らしさを、
次々に作者名をだしてまくしたて、自作の陶芸作品の写真集を見せ果敢にアピールしました。
面接官はその写真集を見ると、 "BEAUTIFUL" を繰り返し、すぐにOKとなりました。
ものの5分とかかりませんでした。他の人達は皆2、30分かかっていたので意外でした。
その時は夢中で何がなんだか分からなかったですが、
どうやら「無職」と書いたのが、引っ掛かった原因ではないかと今になって思います。
自由の国アメリカも、不法就労には、かなり神経質になっているようです。
そもそも移民で成り立っているアメリカ合衆国が、南米や、アジアからの移民を締め出そうと躍起になっているのは、
どうも納得がいきません。
8月25日、出発から13時間後の午後8時30分、ついにニューヨークの地を踏みました。
じつは下見と出願を兼ねて、2月に単独フライトを果しているので、今度は2度目です。
この度は意欲満々、順風満帆といった気分で、荷物運びに我が恐妻ルミさんも同伴し、
手荷物で持ち込んだワープロを目の前で打ってみろという税関吏を、
電圧の関係でできないとわけの分からない説得をしたり、
JFK 空港でのタクシー乗車をめぐるバトルにも勝って、
とうとうグラマシーホテルのスウィート(といっても1泊2万円程度)に落ち着いた次第です。
そこに3泊し、ぜひ泊まりたかったチェルシーホテルに2泊しました。
チェルシーホテルはオー・ヘンリーやアーサー・クラークが執筆に使った場所で、
わたしも、アーサー・クラークの「2001年」に対して、「2881年」という小説を書き始めているので、
なんとか、あやかろうというわけです。
毎晩ピアノの弾き語りを聞かせてくれる優雅なたたずまいのグラマシーホテルと、
1900年代の芸術的雰囲気を残すチャルシーホテルで、多少リッチな気分を味わいながら、
留学中の下宿の手配をしました。
それが今の THE GEORGE WASHINGTON HOTEL です。
SVA と同じ23丁目にあって、点在するどの校舎にも歩いていける距離にある合同学生寮(一般人も入居している)です。
家賃は月 750 ドル(約9万円)で電気代、水道代込みです。
煉瓦建ての古ぼけた大きな建物で、ゆうに百年は経っているものと思われます。
部屋は狭く、3メートル四方で、ベッド、冷蔵庫、テレビ、机、低いタンスがすでに備え付けになっていて、
小さなクローゼットと、トイレ、バスタブ、洗面台が一緒になったタイル張りの部屋が付属しています。
壁は、白いペンキで新しく塗り替えられていますが、絨毯は薄汚れ、
初日からゴキブリやら、子ネズミの訪問をうけてしまいました。
ゴキブリ、ネズミのことを学生寮の管理者に通報すると、
すぐにターミネーターのおじさんたちが来て、部屋中を消毒したり、
鼠取りの薬を仕掛けたりしてくれました。
ちなみに、恐妻ルミさんは、アメリカのいいところだけを観光して、すでに帰国してしまいました。
犯罪都市、不夜城、ニューヨークのど真ん中ということもあって、
真夜中だろうが、外は賑やかで、大声で叫ぶ人達や、パトカーや救急車の音が絶えません。
私は東京の下町生まれ(荒川区日暮里)なので、こうした絶え間ない騒音には慣れっこで、
むしろ AT HOME な気分でいます。
23丁目 (TWENTY THIRD STREET) は、チャイナタウンやウオール街のあるダウンタウンと、
ロックフェラーセンター等があるミッドタウンの中間に位置し、
地下鉄(どこまでいっても1ドル50セント)を使うと、それぞれ15分ぐらいで行け、
東京の中央区にいるようなものです。
町は汚く、ゴミも散らかし放題で、やたらに廃屋があり、近代的高層ビルと、
老朽化の激しい廃墟が混在する町です。
さっそうとシルクスーツをまとい、足早に歩くビジネスマン&ウーマンのかたわらを、
紙コップに小銭を入れカタカタさせる汚れきったベッガー達、これがニューヨークです。
こうした街が、私にとっては、今のところなに不自由なく快適です。
いたるところにある DELI (デリー)という店には、いろいろなお惣菜や、
2回に分けて食べるしかないローストハムや野菜のたっぷり入ったサンドイッチがあり、
3ドルで玉子焼きが2つも出る朝食屋があり、おいしい海老のチリソースを出す中華料理店もあり、
今のところ行く気のしない日本食の店もたくさんあります。
何より気分のいいのは、汗だくになって街を歩き、授業と授業の合間に、
部屋に戻って、熱い風呂を浴びられることです。
蛇口をひねれば、熱いお湯も冷水も、ほとばしるように出てきます。
ニューヨークは水が豊富で、水は使いたい放題のようです
(どのアパートも水道料金は請求されないというのは本当です。部屋代に含まれています)。
SVA の校舎は、街のあちこちに点在しているので、授業ごとに歩いて移動しなくてはなりません。
一番遠いところで30分かかり、いい運動になります。
これが栄養過多による肥満を防いでくれています。
調理器具の持ち込みは禁止されているので、コーヒーメーカーでお湯を沸かし、
インスタントラーメンを食べたり、オーブントースターでピザを焼いたり、
罐づめの豆を温めて食べたりしています。
食費は贅沢をしなければ一日千円ほどで済みそうです。
それでも、3日に1度は外食をしたくなりますので、
その場合は、税金やチップを入れると、最低1500円ほどかかってしまいます。
量を考えると日本よりも安いと言えるでしょうが、金額はあまり変わりません。
何とニューヨークの消費税は、8.5%です。それにチップが15%ほどですから、
定価の25%増しをだいたい払うことになり、あまり安い感じがしません。
それでも、基本的な衣食住は、無駄遣いをしなければ、
私の前倒し年金、月15万円ほどで、辛うじて生きていけそうです。
問題は、文化教養費で、学費年間180万円、美術教材費が30万円ほど掛かるので、
これらは、退職金の借金返済後の残額を食いつぶすことになりますが、
約3年分の留学資金がまかなえるのでは、ともくろんでいます。
もともと経済観念のない私ですから、すぐに使い果たして GIVE UP ということもありえます。
何と、嬉しいことには、学割がききます。
美術館は半額になったり無料になったりします。
学生の特権を大いに利用したいものです。
元英語の教師として、はなはだ恥ずかしく言いがたいことですが、
困っているのは、英語の聞き取りで、教授の話はなんとか理解できるのですが、
学生たちがなにを言っているのかチンプンカンプンで、
彼らとの会話に入っていけず、クラスでは今のところトータル・ストレンジャーです。
次回は授業の模様などを、お便りしたいと思います。
FAX つき電話を購入しました。3万5千円程度で電気製品は日本のほうが安いかも。
連絡をとりたい方は、昼夜を問わず、下記の住所へ FAX または電話をじゃんじゃんかけてください。
MR. TOSHIROU MARUYAMA
THE GEORGE WASHINGTON HOTEL RM.1440
23 LEXINGTON AVE. NEW YORK,NY,10010
TEL&FAX 212-460-5701
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Copyright (C) 1998 Toshirou Maruyama <tmaruou@yahoo.co.jp>