北海道八雲町のご案内

 

 北海道ニ海郡八雲町は函館から北へ約70キロの渡島半島北部にある自然豊かな街です。2005年10月に日本海側の熊石町を合併し、全国で唯一、日本海と太平洋の両方に接した町となっています。酪農と漁業が盛んで、とくに酪農は北海道で最初の酪農専業地帯として栄えました。八雲の開拓の歴史は、1878年に旧尾張藩主徳川慶勝が旧藩士授産のために士族を移住させたことにはじまり、以後現在に至るまで尾張徳川家との関係が続いています。また、町の中部には1801年以降明治維新まで関門が置かれ蝦夷地と和人地の境界であった歴史があり、町の南北で異なった歴史的背景が見られる、道内でも唯一の町です。

八雲町位置図

 

◎八雲町の自然環境

位置

渡島半島の中央を占め、太平洋と日本海の二つの海に面しています。北は長万部町、今金町、せたな町に、南は森町、厚沢部町、乙部町に接しています。

地勢・人口

面積は955.98平方キロ(名古屋市の約3倍)で渡島支庁管内最大の面積を誇っていますが、人口は約2万人です。。渡島山系をはさんで、東は遊楽部川、落部川、野田追川が流れ、西は相沼内川、見市川が流れており、農業・漁業ともに恵まれた立地となっています。

気候

太平洋側と日本海側で異なり、太平洋側が年平均気温7.9℃、暖流の影響を受ける日本海側が年平均気温9.1℃となっています。また、降水量は、日本海側が冬に多く、夏に少なくなるのに対して、太平洋側では夏に多く、冬に少なくなる傾向が見られます。

沿革

2005年10月1日、渡島管内山越郡八雲町と檜山管内爾志郡熊石町が支庁を越えて新設合併を行い、新たに「八雲町」が誕生しました。この合併により日本で唯一太平洋と日本海を持つまちとなったことから、「二海郡」という新たな郡名が付けられました。

八雲の地名は、1879年に旧尾張藩主徳川慶勝が、豊かで平和な理想郷建設を願って、古事記所収の「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」との和歌から命名したものです。

 

◎おもなみどころ紹介  このほかのおもな観光スポットはこちら

ここでは八雲駅から徒歩圏内で散策できる主なみどころを紹介いたします。このほかにもみどころはいっぱいありますので、また適宜追加していきたいと思います。 

八雲町郷土資料館・公民館

八雲駅から徒歩10分程度のところにある資料館。町役場・梅村庭園の隣り、八雲町の開拓の歩みを豊富な資料で詳しく展示してあります。開拓当時の民具や小屋が再現されているほか、八雲町が発祥の地である熊の木彫りやアイヌ民族資料なども展示されてあり、なかなか興味深いです。(月曜休み、入館無料)

郷土資料館の隣りには公民館があります。公民館の前庭には、徳川慶勝の孫・徳川義親侯爵の銅像があります。徳川義親は八雲町では「徳川さん」と呼ばれ大変親しまれた人で、銅像にも「徳川さん」とだけ記されています。

 

 

開拓当初の小屋(再現)

八雲が発祥の熊の木彫り

徳川義親銅像

 

梅村庭園

郷土資料館・公民館の隣りにある、北海道では珍しい池泉回遊式の庭園です。ここは、旧尾張藩士であった梅村多十郎が造園したもので、池の周囲に自然景観を取り入れた築山、枯れ山水、自然林に模した樹木などが巧みに配置されています。2003年秋、開町125周年を記念して、土蔵と離れをつなぐ形で休憩施設「梅雲亭」が完成し、蔵と離れの一般公開を開始しています。土蔵内部には梅村家関連の資料が展示されています。

 

 

 八雲神社

八雲駅から徒歩15分程度、宮園町にある神社です。1879年、尾張からの移住者が熱田神宮の神符と尾張徳川家歴代の神霊を産土神として崇拝していたのが起源で、1887年「八雲神社」として村社に列せられました。熱田神宮の分社は全国でこの八雲神社のみです。1934年には徳川慶勝命が合祀されています。毎年6月20日〜22日には例大祭が盛大に行なわれてます。

 

 

木彫り熊発祥の地

八雲町は北海道の観光みやげとしてかつて有名だった熊の木彫りの発祥の地です。その起源は、徳川義親が徳川農場で働く農民の農閑期の副業として熊彫りを奨励したことにはじまるものです。これを記念して、かつての徳川農場跡地に木彫り熊発祥の地の石碑が建立されています。跡地は整備されておらず、場所がわかりづらいのが難点ですが、八雲神社から歩いて5分くらいです。