吉見講師のカリキュラム  

From: yoshimi

Sent: Tuesday, October 29, 2013 12:21 PM

Subject:                                           早池峰の賦      

 

 
            在京白亜36会の皆様

 

  その後、恙無くお暮らしでしょうか。

当方、ゆったりした時間を漫然と過ごす事が多くなっております。

然し、偶には何かに感動し、それを誰かと共有したくなるものです(これも歳のせいなのかもしれません)。

 

  主題の映画を観賞後、衝動的に盛岡の弟に電話したのですが、

生来の口下手から余り意図が通じなかったようなので下記メールを打ちました。

弟は水門メーカーとして昔からの県内各地を良く知っているので、共感してくれました。

映画を観ていない人やこの地域の歴史的風土を知らない人には私の感動を共有するのは難しいかもしれませんが、

参考までに送らせて頂きます。

一方的に皆様にメール致します事をお許し下さい。

 

次回36会で元気な皆さんのお顔を拝見したいと思っております。

                                            吉見

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  先日、岩波ホールにて映画「早池峰の賦」を観賞して来ました。

岩波書店系列の映画会社の監督をされていた羽田(はねだ)澄子監督の1964年に撮影し、

12年後の1976年製作の作品で、上映時間3時間と云う長さでした。

 

  岩手県北上高地の中程に聳える早池峰山(標高1917M)の南西の山間部に伝承される神楽と

そこに暮らす人々の営みを白黒映画で記録したものでした。

焼き畑農業で、「そば、ひえ、あわ」の所謂雑穀と煙草の葉しか取れず、山仕事や炭焼きでの生活は貧しく、

旧い昔から地域の神社である大償(おおつぐない)神社への奉納として伝承された神楽や、

権現様を持って各家庭を回ったり、他の地域の門付けで収入の補填としていたとの事です。

なんとか米がとれるようになったのは、冬場の共同作業で昭和24年に山の水を引く工事が完成してからであり、

それでも祝いの時に餅をつく習慣は無く、この撮影の当時も祝いの膳はそばでした。

 

神楽も、権現様も動きの激しい勇壮なもので、

盛岡の街にも繰り出して来たのを私の子供の頃の記憶として残っております。

早池峰山は中世から近世にかけて修験道の修行場となっていた歴史が有り、

その山伏神楽が大償と岳の二つの集落に伝承されて早池峰神楽となったそうです。

明治初期の廃仏毀釈の余波や生活環境の変化等でだんだん廃れて、

伝承できる老人が少なくなって来ておりました。

それが、出稼ぎ仲間同士の触れ合いの中で、

若者がなんとかその技能を引き継いで伝承しようと云う機運が出てきたようです。

その後、早池峰神楽は国の重要無形民俗文化財に指定されて、

更には2009年にユネスコの無形文化財遺産に登録されています。

 

この映画は早池峰山の山懐に抱かれた山間部の春夏秋冬、

その中で変わりゆく生活環境等を美しく写し撮っていました。

馬を家族の一員のように世話する為に出来た家屋形態である「南部の曲屋」も次々現代的家屋に建て替えられ、

道路も舗装されて自動車が普及し、酪農で生活している様子が映されました(葉タバコ栽培も

この撮影の2年後には無くなったそうです)。

 

古老の話の中で衝撃的だったのは、昔は姥捨ての習慣が有り、

62歳になると山の上の方にある木の麓に捨てられたそうで、その言い伝えの場所も写されました。

捨てられる方も捨てる方も辛かったでしょうが、飢えと寒さでこん睡して亡くなるのでしょうか。

早池峰の山懐に生まれ、その土に帰るのだそうです。

その年齢になると従容としてその習慣に従った老人達は哀れと云うよりは、

立派な人生と言った方が適切かもしれません。

寡って、日本のチベットとやゆされた地域の一部であり、

発展した都会とは隔絶した世界ですが、人々の表情には沈鬱なものは少しも無く、

それどころかとても優しく、素朴で人間味を感じました。

 

『幸せとは物に満たされる事とは別なものである事が印象深く感じられました。』

 

映画が終わった時に場内から多くの拍手が湧きました。

会場の出口のテーブルに羽田澄子監督のメッセージが置いてありました。

「この映画はたんに神楽を見せるものではない。

人間が生きるとはどういう事か、日本人とはどういう人間かを考える事を目指した作品である。」とありました。

大いに感じ、考えさせられた映画でした。

機会が有れば観賞される事をお勧めします。

 

尚、「早池峰神楽」、「大償神楽」でインターネット検索すれば、神楽舞いを楽しめます。

世間に与えた衝撃も相当のものだったと感じます。

前向きに対応しようと云うスタンスを感じました。

未だ犠牲者も特定されていない段階で何かを述べるのは控えたいと丁重に断りました。

この痛ましい事件によって衝撃を受けていないのだろうかと、その気楽な態度に不快を感じました。)

イナメナスと云う所はどんな所でどんな設備なのか教えてくれとの事でした。

下記のように答えました。

 日揮、及びその関係者はお客さんに対して第三者に情報を提供してはいけないと契約で規定されている。

それ故に情報を得る相手はプロジェクトの請負者の日揮ではなく、プラントのオーナーであるBP,Statoilである。

又、私も知らない生還者の情報を知りたかったようですが、

プロジェクト参加者は、設計、調達、建設、更にその中で多岐にわたる専門性に従って夫々に部分的仕事をしており、

この人達に個別に聞いても全体像と云うよりはセンセーショナルな細部情報だけとなりかねない。

まともな情報が得られないし、ましてや退職者は何も分からない。

テロ集団とのインタビューにも成功し、軍隊の話も聞いて襲撃が予知されてた事もある程度掴んでいるとの事でした。

テロは続くのではないでしょうか。

国際社会の歪の中でずる賢く振る舞い、弱さのある所にはびこるやくざな集団ですから、

健全な国、健全な国際社会を確立するのが真の解決だと理解します(何時の事になりますか)。

列強は「真の解決」へは消極的で、目前の利権確保には積極的です。

存在感がありません。

エンジ会社が責任を持つのはキャンプのゲートコントロールや泥棒対策程度の事です。

危険地帯には近づかぬとか、コミュニティーの有力者・地方政府・軍隊と親しくするとか、

ローカルの下請けとトラブルを起こさないとかは細心の配慮をしても、

武装集団が国外から襲撃すると云う事は全くの想定外です。

そこから1000キロも離れた砂漠の中の軍隊に守られた施設を外国のテロ集団が攻めてくるとは想像できません。

日本の為に海外の危険な場所で苦労している立派な方々との受け止め方が多いのではないでしょうか。

海外の危険と思われる地域で働く人が全て特別な人ではなく、普通の日本人と変わる所が無いと私は思っております。

生きていて欲しかった人達と云う事だと思います。

Date:2012/8/13, Mon 16:00
From:shoji yoshimi
Subject                                             大槌の墓参り(被害に涙し、政治に怒る)
To:hakua36zaikyo

 

 在京白亜36会の皆様
暦の上でははや秋。皆様にはお変わり無くお過ごしでしょうか。
8月の初めにに思い立って盛岡の弟を誘って車で、三陸海岸の大槌の母の実家の墓参りに出掛けてきました。
母の実家(本家といっていました)では叔父たちが亡くなり、叔母とその長男が暮らしておりました。

この度の津波で二人とも車で逃げようとしたようなのですが、遺体がまだ見つかっておりません。
津波の時、町役場で対策会議をしていた町長も犠牲になりました。

更に、引き続き起こった火災によって焼死体同士が折り重なって見分けがつかないような無残な被害とか、その他多くの被災者を出しました。
盛岡から岩泉を抜けて、宮古の北の摂待から始まり海岸線を巡り、大槌で墓参りをし、釜石から遠野、大迫を経由して盛岡に戻る約400kmを日帰りでの旅でした。
買ったばかりの弟のハイブリッド車がすっかり埃にまみれて気の毒な事をしました。
被災地はがれきの山が一定の場所に、コンクリートがれき、金属類、その他等々と種類別の山が作られておりました。

 テレビの映像で、黒い津波が襲っておりましたが、なぜ黒いのかが分かりませんでした。

黒いのは永年の生活排水によるヘドロが海中にたまっており、それが津波の勢いで一挙に陸に押し戻されたものなそうです。

ですから、がれき処理の作業に携わる人たちが皆マスクをしていたのはヘドロの匂いがひどかった為なそうです。

現在は海底がきれいになり、プランクトンも増えて魚が繁殖し、丁度今の時期はウニが豊漁なそうです。

(殺菌した海水に浸した生うにの瓶詰を買いましたが、新鮮で美味しいものでした。)
家が有った所はがれきも片付いて、あたり一面に雑草が繁茂し無人の荒れ地と化しております。

所々に残る一階、二階部分が被害にあって赤錆びの出ているコンクリート建築が何とも哀れでした。
大槌の母の実家のあったと思われる所に立ってみても、昔子供の頃に毎年の夏休みの半分を過ごした記憶をたどる何も見付ける事が出来ないほどに破壊された町でした。

至る所に湧水が出て共同の生活水として使われていた町でしたが、その痕跡も見当たりませんでした。

お寺も跡形が無く、母の実家のお墓は多少小高い所にあったので残っておりましたが、叔母とその長男の卒塔婆が涙を誘いました。

 弟が水門メーカーに勤務しておりますので、摂待地区の水門に連れていってくれました。添付写真とスケッチを参照下さい。

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震災時、消防団が駆けつけて水門を下したのですが、操作室にいて真っ黒な津波が襲って来るのを見て腰を抜かして動けなくなった若手をベテランの消防員が何とか下まで降ろして逃げたそうです。

それ程に恐ろしい津波だったと云う事です。
ゲートは無事閉まりましたが、結果は添付写真の”摂待水門(被害前全体)”が”摂待 水門(被害後全体)”の状態までに破壊されました。
添付”水門の漫画”にスケッチと問題点を書いておりますが、四門あったゲート、ゲートの枠柱である堰注やその上に乗っていた構造物がすべて破壊されて流されております。

しかも、コンクリートの強度に直結する鉄筋の本数が少ないようです。

三陸海岸には水門は多くあるが、これだけの被害にあったのはここだけなそうです。
以前、弟に見せて貰った護岸が破壊されて転がっている写真でも、鉄筋が一列にまばらに有るだけのものが有りました。
津波の威力が想定外だったのでしょうが、設計、施工、検査にも問題が有ったのではないでしょうか。

又、ゲートを閉めるのは手動と電動が有るそうですが、電動でも電源が一般電力の為に地震の際は動かす事が出来ないで慌てて消防団が駆け付けたとか、電源をバッテリーとしたまでは良かったが、ゲートを人が通っていないかをカメラで感知して作動させるような精緻なシステムとしながらもカメラの電源を一般電力としていたがために地震の時に使えなかったと云うような「人災」も有るようです。
然し、このような問題は責任官庁からは何も発表されていないそうです。

更に、護岸があちこちで倒れておりますが、このコンクリートの塊はある程度の深さの所を底盤として置いているだけで、杭を使っていないそうです。

ビル等では考えられない事ですが、設計基準がどうなっているのか疑問を感じました。

一方、コンクリートで守る思想から高台移転への発想の転換を唱える学者も多くおります。

海岸から高台がすぐ近ければそれも納得出来ますが、宮城県の平野部のように高台が遠い地域ではそれも現実的ではなさそうです。

一方、松島では多くの島が有った為に波が弱まって被害がそれ程でも無かったようです。

いずれにしても、震災大国の日本を念頭に、その土地に適した賢明で現実的防災対策が必要と考えます。


 被災地の経済活動はまだまだなようですが、盛岡さえも繁華街は人通りが少なく、寂れているように感じました。

復興事業は県の設計が遅れており本格的事業がまだ発注されていないそうですし、地元優遇策は県単位ではなく、地方振興局単位なのが欠点なそうです。

例えば、盛岡の会社が大船渡の工事に入札する時は地元点数が無く、全国どこの業者とも同じ扱いなそうです。

土木工事ならば各地域に業者がいるのでまだ良いのですが、そうでない業種まで画一的な適用なので、公平という建前で、県内の企業が無理な競争を強いられ、受注しても利益が出ない状態なそうです。

被災地の企業が疲弊している状態に対し、役人も、県知事(小沢派)も「公平性」を盾に動こうとしていないそうです。

岩手県の国会議員である、小沢議員に至っては一度も被災地を視察していないそうです。
被災地の復興復旧、雇用確保と云っている裏では、国民の疲弊に目を向けず、党利党略・個利個略にのみに走る政治が今の日本をダメにしている事を目の当たりに見た今回の旅でした。

それにしても、生々しい報道があったり、盛岡時代の学友やその家族でも被災された人が少なからずいるのですが、やはり現場に行ってみて感じる衝撃は大きなものでした。

オリンピックのテレビ観戦の寝不足で頭がすっきりしないボケ状態が続いておりましたが、遅ればせながら皆様にご報告致します。  
残暑厳しい中、お体大切にお過ごし下さい。       

                                 吉見

 Date:2012/7/8, Sun 21:24
From:shoji yoshimi
Subject::                                                     縄文のビーナス
To: many men
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    皆さま

今年の七夕は雨模様で、天上の恋人達には気の毒ですが、皆様は如何お過ごしでしょうか。

  さて、上野の国立美術館で開催された「ボストン美術館展」に5月の初めに出掛けてみました。

「ボストン美術館展」が開催されている平成館に向かう廊下伝いの部屋で、今年国宝に指定された数々の文化財が展示されておりました。

入って直ぐ、添付の土偶が目に留まり、その美しさに息をのみました。

  以前、長野県で発掘された土偶はお尻や乳房を強調した、豊穣、多産を祈る土偶で、当時縄文のビーナスと言われたと記憶しております。

然し、この山形県で発掘された土偶は八頭身に近く、その姿形の良さは将に縄文のビーナスの名に相応しいと感じました。

今から4,000〜5,000年前(縄文中期)日本列島の太古の民が食べる事にあくせくするだけではなく、

これほどに繊細な美意識と文化を持っていたと云う事を誇りに思います。

  次に見たボストン美術館展は明治に入ってフェノロサ、岡倉天心によって見出された日本の文化財が、

アメリカに渡って丁寧に保存されているのを見せてくれるものでした。

素晴らしいものが多いのですが、明治初期の廃仏毀釈で持ち主の寺社は疲弊していたり、江戸時代の金持ちも没落していたり、

岡倉天心の斡旋に乗らざるを得ない事情が有ったと思われます。

岡倉天心、フェノロサは日本の文化財を守ったのか、それで儲けたのか、疑問を感じながら鑑賞しておりました。

昔、同じような疑問を感じたのは大英博物館に行った時でした。

大英博物館で、驚嘆するのは世界の各地の有名な文化財が目の当たりに見れる事です。

しかも、展示しているのは博物館の所有物の1%でしか無いそうで、その規模の大きいことに驚きます。

例えば、ギリシャのパルテノン神殿からはぎ取られた飾り浮彫が神殿を模した大きな部屋の飾りとなっております。

イギリス人はこの貴重な財産を破壊消失から守ったと云い、ギリシャ人はイギリス人は泥棒だと云っております。

大英博物館の入場料は無料なのですが、それは当該国へ返還せよとの意見を緩和する為だと云う穿った見方もあります。

図書館で「月刊文化財6月号」に添付の写真が有るのを見つけたのですが、コピーを取るなら7月に入ってからにして下さいと言われて、

皆様に紹介するのが遅くなりました。

暑中見舞を兼ねて、ご参考までに送ります。お楽しみ頂ければ幸いです。

追伸 ;

昨日、古希の会のDVDを受け取りましたが、幹事さん達のご苦労は大変なものだったと思います。

同期会で大勢で会うのも楽しいのですが、オーガナイズする体力が無くなりつつあります。

気候の良い時に小グループで美術館鑑賞や散策もたまには良いのではないでしょうか。

(第3水曜日は都営の美術館、博物館は60歳以上は無料です。ご参考まで。)

会って心地よい人達と取り止めの無い話をするのも年寄りらしくて楽しいかもしれません。

(メールリストから拾いましたが、宛名に落としている人が有りそうです。

然し、今夜も遅くなったのでそのまま発信します。転送したい方がいれば転送下さい。

                        吉見

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Date:2011/12/21, Wed 15:55
From:shoji yoshimi
Subject                               :梅津氏からの便り(散歩の達人12月号記事スキャン送付
To:"白亜36在京

 

皆様
  梅津氏からは立ち読みで読んでくれとの伝言でしたが、本日この雑誌を買ってきました。
雑誌の該当頁をスキャンしましたのでご参照下さい。
本人に先程電話し、良い顔で載っていると伝えたら、こうなったら頑張るしかないと張り切っておりました。
尚、店がが狭いので来られる時は小グループでお越し下さいとのことでした。

  今年は地震・津波・原発事故、立花氏逝去等々明るい話題が少なかった中で”赤とんぼ”が頑張っている事は私自身を元気付けてくれました。
皆様共々、良い年を迎えたいと思っております。
                               吉見

 From: <yoshimi.shoji>
To: <hakua36zaikyo>
Cc: <setagaya-todoroki.>; <wakot>; <nonaka>;

Sent: Wednesday, October 27, 2010 2:40 PM
Subject:                       
【暇な時お読み下さい】立花さんの事、自分の事

 36会の皆様

 先日、立花さんから病気からの復帰の連絡がありましたが、

生涯現役で病魔も吹き 飛ばす意気込みに役者の心意気を感じました。
と云っても健康あっての活躍ですからご自愛頂きたいと思っております。

 立花さん
頑張って下さい。

 立花さんに刺激されて頑張ろうとも思いますが、

気持ちがあっても体(脳)が付い てこない今日この頃です。 

 

 私の近況を下記します。
私は現在非常勤で週に2回程度の出勤ですが、

ここ”みなとみらい”は11月に開催される予定のAPECに備えて多数の警官が動員されております。
 しかも各県から動員されているらしく、各県警の名前が入ったものを着ています。
つい岩手県警を探すのですが、先日桜木町駅でお目にかかりました。
懐かしさに公務中をも顧みず話し掛けてしまいましたが、

岩手県出身者から良く声 をかけられるそうです。
「このエリアは岩手県の人が多いようです」と言っておりましたが、

そんな訳はなく、岩手県人がそこまで故郷を懐かしんでいる証拠ではないかと考えます。
何故ならば私がそうだからですが。

 つい、啄木の「故郷の訛り懐かし停車場のーーーー」を思い出しました。

盛岡を離れて約50年、年と共にその懐かしさが増すようです。

 今年はこの歳で100分授業を13回と云う大学院の講師を経験致しました。
自分のやってきた事を話せば良いと安請け合いし、苦労しました。

それよりも現代の若者の内向きな姿勢に危機感を感じました。
 報告書を添付致しますのでご参照下さい(難しい言葉は飛ばして読んで下さい)。
      (See attached file:
東大PM講座報告10・8・29.docx)     

      (See attached file: PM講座カリキュラム10.2.23.doc)
                                                       
 就職難、大学教育の不充実、大学院でも大学のぬるま湯と同じ状況、

家庭での子弟に対する教育の放棄(私の例)等々社会の矛盾の中でそのようになっているのだと感じています。

日本政府が確たる方針を出せず、賢いアクションも出来ず、したたかに世界に伍せないでいる現状と同じ事です。

我が業界も同様に苦しい状況にあります。
 然し、私は最終的には悲観していません。

これはと云う学生もおりましたので、明日はこの人達が我々の思いを繋いでくれるのではないでしょうか。

更には、落ちる所まで落ちたらそこから這い上がるでしょう、戦後がそうでした。

大切な事は我々年寄りも発信する事だと今回知りました。

 「立花さん頑張って下さい」が、

いつの間にか自分の事を書いてしまい申し訳ありませんでした。

                                  吉見昭司

 

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