松坂太君  パウロ クヌートゥス   2009・7・19

                                             2009年11月28日 

                               立教大学経営学部 「パウロ松坂太逝去記念式」 

                                   13時よりチャペルにて

                                                  チャペル堂内

                               

                                                   チャペルの傍のイチョウ

                               

                                            14時より茶話会が行われた第一食堂

                     

                                                   小林君の送辞

                     

                                                 松坂君のお父さん(96才)を囲んで 

                     

                                                     

11月28日に営まれた立教大学経営学部の「パウロ松坂太逝去記念式」に、

白亜36会会員も会衆いたしました。

                 

                                                                         

                                   

 

 2009年11月28日、松坂太逝去記念式                                                2010/ 7/13 Tue  転載

2009年11月28日、松坂太逝去記念式
                  香山洋人

 今日私たちは、今年7月に逝去された松坂先生の逝去記念の礼拝のために集まっています。

わたし自身は松坂先生と親しくお話をする機会はありませんでした。

ですから、松坂先生のお人柄、その魅力についてはここにお集まりの皆様がよくご存知だと思います。

  また松坂先生の企業人としての活躍についてもわたしはよく存じ上げません。

人事の専門家として人材育成の分野でお働きになっていたようですし、経営学部でもそのようなご専門について

学生たちをご指導いただいたのだと思いますが、そうしたご活躍や貢献の中身や価値について、

門外漢のわたしよりもここにお集まりの皆様の方がよくご存じだと思います。

 しかしながら、今回、経営学部が逝去記念式に際し、ご家族とのお話を通して先生のお人柄に接することが

できましたし、こうして松坂先生を慕う多くの皆さんの輪の中に加えていただくことで、

在りし日の先生に思いを馳せることがでたましたことを感謝すると同時に、

新たな出発をしたばかりの本学経営学部が本当に素晴らしい先生をお迎えしたのだということを

心から誇りに感じています。

 直接面識もなく、お仕事の内容についても門外漢ですが、わたしは立教大学のチャプレンであり、

先生が立教の経営学部にとって大切な方であったということのゆえに、そして、先生が一人のキリスト者として、

カトリック信者としての人生を歩んでこられ、ご家族も同じ信仰を生きておられるということのゆえに、

この大切な礼拝で奉仕をさせていただけることに大きな意味を感じています。

そしてこのことはわたしばかりではなく、キリスト教に基づく教育を建学の理念とするこの立教大学にとって

かけがえのないものであると思います。

 人は死を恐れ、あるいは悲しみます。

死が単なる喪失と別離であるならば、葬儀は嘆きと悲しみ以外の何物でもないでしょう。

そうであれば、こうして死者を追悼する礼拝、記念する礼拝において、

わたしたちがとるべき態度は悲しみ嘆くことでしかありません。

  しかし、キリスト教の信仰において、死は単なる喪失でも別離でもなく、すべての終わりでもありません。

むしろそれは、わたしたちが地上の生活においてなかなか実感することの困難な「永遠」というもの、

終わりのない何かに向かう新たな入り口、そのスタート地点であるはずです。

これはキリスト教の信仰であり、聖公会の司祭であるわたしにとっても、

カトリックの信者であった松坂先生にとっても、そのご家族にとっても確かなことであり、

さらには、ここに集っておられる一人ひとり、すべての人にとって、

じつはかけがえのない大切なテーマであるはずだと思うのです。

 上智大学時代に洗礼を受け、パウロという名前をいただいた一人のキリスト者、

カトリック信者としての松坂先生ですが、聖パウロの学校である立教にこられたことに不思議なご縁を感じますが、

キリスト者であった松坂先生にとって、そしてご家族にとって、

地上の生活を終えるということは決して終わりを意味していないと思います。

  先ほどの聖書は神の御心、神の意志について語っていました。

神は拒まない、神は一人も失わない、神は人間に永遠の世界を与えようとしている、そして、そのような御心、

ご自身の意志をまっとうすることにおいて、神にはいかなる躊躇もない、という内容です。

 親しい家族、友人、同僚、先生が目の前からいなくなることは大きな事件です。

そこには驚きも悲しみも、ときには後悔も無念さもあるでしょう。

それはわたしたちが互いに大切に思っていたこと、愛し、信頼し、尊敬する関係であったことの何よりの証です。

  しかし、わたしたちの間にあったのは、愛や信頼や尊敬、あるいはゆるしや希望だったのであって、

それこそがお互いにとっての真実だったのであって、そうした大切なものを捨て去って、

驚きや悲しみ、後悔や無念さの中に自分自身と、そして大切な人をとめ置くべきではないはずです。

 イエスとともに歩んだ人々は、その教えと行いに驚き、感服し、

すべてを放棄して人生をイエスに託そうとすら思います。

  しかし彼らはイエスを誤解し、失望し、裏切ることさえします。

人間の弱さ、あるいは現実を生きる人間が避けて通ることのできない困難、試練というべきかもしれません。

結局イエスは十字架によって処刑されてしまい、そのあと人々の心に浮かんだのは、もちろん悲しみ、絶望、

あるいは敗北感や後悔だったかもしれません。

  しかし、それらを上回る現実が現れます。

ある事件をきっかけに、彼らは、自分とイエスとの関係の本質は愛と信頼、希望だったという事実を再確認し、

そのことの完全さ、これこそが永遠であるという思いを胸に抱き新たな歩みを始めました。

自分たちは受け入れられている、決して拒まれることはない、捜し求められている、決して失われることはない、

永遠の世界を、今この瞬間から永遠に至るまで、わたしたちは生きよといわれている。

その意志は圧倒的であり、強固であり、それこそが真実だという確信に立った新しい人生です。

 わたしたちは

目の前にある不完全なもの、いやなもの、困難な現実に目を奪われながら生きているかもしれません。

しかし一人一人は、互いに大切にし、信頼し、尊敬しあうことのできる人間でもあるはずです。

世界を包んでいる神の意志は、このことに関しては決してあきらめない、

誰一人として絶望や悲しみのうちに留め置かれたままであってはならないという断固たる意志なのだと思います。

イエスの弟子たちが体験した事件、愛と信頼と希望によって新たに歩み出すことを決断させた事件は、

実はわたしたち一人一人の人生の中においても必ず遭遇する事件です。

自分の人生においてそのような場面はなかったし、これからもないだろうと思われる方々にも、

そのような事件は起こりうるのだとわたしは信じています。

 松坂先生と出会ったわたしたち一人一人は、先生から与えられた様々なことを感謝とともに思い浮かべつつ、

先生が抱いておられた究極的な希望をも分かち合うものでありたいと思います。

                        

                                                                          

   松坂君追悼記念式(28.Nov.’09) 小林君のスピーチ原稿

 

私は松坂君と50年ほど前、高校で同級であった“小林建俊”と申します。

本日は、岩手県にある盛岡一高で同級生であった仲間十数名とともに“松坂君の逝去記念式”に参加させていただきました。

すでに皆さんからお話がありましたように、彼の誠実で真摯な態度は、我々同級の者たちへも同様でありました。

彼は人との交流が大好きであったと思います。

家族、若者、同僚、友人そして国籍を超えた人たちとの幅広い交わりがありました。

その多様な人脈の広がりは、相手の立場に配慮する優しさが基盤にあったからではないでしょうか。

そして、もうひとつ彼が大好きであったものが故郷です。

郷土愛と申しましても、若いころにこの事に関して彼と話をした記憶は全くありません。

彼の郷土への思いを感じたのは、ここ数年、10年ぐらい前からのことです。

 

我々の故郷 盛岡は周りを山で囲まれた城下町です。

厳しい気候の土地ではありますが、南部藩として長く、安定した政治が営まれた街には落ち着いた雰囲気が漂っております。

このような地方都市にある高校がわが母校盛岡一高です。別名白亜城と言います。

松坂君は盛岡の郊外紫波町佐比内から盛岡一高に入学しました。

校風を一言でいえば、自由闊達な校風と言えます。

今日参加の皆さんは高校時代の校歌を空で歌うことができますか?

我々は50年過ぎた今でも歌うことができます。

明治時代に作られた校歌ですから、歌詞は極めて難解な漢字で書かれております。

入学するとすぐに、1年生は応援歌練習のため狭い講堂に集められます。

教師は誰も入らず、生徒だけによる練習です。

前日渡された紙には、校歌そしていくつかの応援歌の歌詞が書かれております。

応援団長は言います。

わが校に入学を許された君らはこのぐらいの歌詞を数日で暗記できないはずはない。

メロデーは後ほど覚えればよい。

しかし歌詞だけははっきりと口にしろとアジ演説です。

「世に謳われし浩然の、大気を此処に鎮めたる」で始まる校歌を覚えます。

メロデーは後で覚えれば良いと言われましたが、メロデーを覚えるのには時間も努力もいりません。

なぜならメロデーは軍艦マーチですから。

校歌が軍艦マーチから連想する学校は軍国主義の保守的学校となりますが、決してそうではありません。

軍人から総理大臣となった先輩がおりますが、

一方では母校の前身ともいえる藩校の先輩であり民間人からの初の総理となる原敬や

南部藩の家老の息子で、国際人として有名な新渡戸稲造博士などがおり、

その存在は校風に強い影響を与えました。

また、文のほうにも多くの敬愛する先輩がおります。

宮澤賢治、石川啄木、そして松坂君と同じ紫波町出身で“銭形平次とりもの控え”を書いた野村胡堂氏などがおります。

このように多様な先輩の影響を強く受けた学校には、大変ユニークな授業をする先生もおりました。

英語の授業でシェクスピアの戯曲を原文でひたすら韻を踏んで読ませる先生、

数学の授業で“生きる目的は何か?”等哲学的テーマを討論させる先生などもおりました。

学校の行事では、教師を含め全学対抗のラクビー大会が冬にあります。

いくら雪の上とは言え、3年生と1年生がぶつかると格段の体格差があります。教師と3年生が当たることもあります。

しかし、このような経験は枠にはまらない考え方、上下隔たりのない交流の在り方などを我々に身に着けさせたと

信じております。

松坂君のわけ隔てのない人との交流、気使い、愛情の持ち方などはこうした校風の中で育まれたものと思います。

彼の故郷への思い、そして繋がりを感じた事がらを紹介させていただきます。

1、東京近郊に住むゴルフ好きの同級生20数名で年に2回ゴルフを楽しんでおります。

ゴルフコンペ参加者は必ず馬名を持たなければなりません。

住む場所、勤務先、本名をもじった馬名がつけられます。

私は幕張メッセの近くに住んでおりますので「幕張キング」です。

「ヨコスカタイガー」「コニカプリンス」など様々です。

馬名を考案するのが得意な友人が、松坂君に「カマクラ大ブーツ」はどうかと提案すると、

彼は即座に、私の馬名は「バイオレットウエーブ」であると宣言しました。

彼の故郷、紫波町はムラサキのナミと書きます。

2、彼の書いた随筆にも故郷のことが良く出てきます。

月間随筆の昨年3月号には「故郷の家」というタイトルの文章があり、

同年9月に第58回日本随筆協会賞を受賞した随筆のタイトルは「銭形平次のふるさと」でした。

そして文中に、作家胡堂氏は敬虔なクリスチャンであった妻ハナに共鳴して作品を書いたと記しております。

恐らく大先輩の野村胡堂氏に自分を投影していたのではないでしょうか?

3、彼がIBMに勤務していた頃、野球の選手を採用するため、

盛岡一高時代の恩師で当時県内の他の学校で校長をしていた先生を訪ねた話を聞いたことがあります。

その先生の名は千田玄先生と言います。

ことしの夏、松坂君の葬儀が過ぎて間もないころ、千田玄先生の名前に何度か接することとなりました。

夏の甲子園に岩手県代表として、菊池雄星投手を擁して決勝まで進んだ花巻東高校が勝利するたびに流れる校歌の作詞者に

それはありました。

彼が亡くなって間もないころでしたので、校歌が流れる度に目にする先生の名前に何か不思議な縁を感じる瞬間で

ありました。

我々は今、インターネットを通じて色々な情報交換を同級生で行っております。

火付け役の一人は松坂君でした。

前期高齢者と世間で呼ばれる年齢となった我々ですが、健康に留意しますます楽しい交流を増やしていくことを

松坂君の霊に誓って、私の役目を終えさせていただきます。

 

                                            小林建俊

 

 

 

                                             2009年 8月 5日

                                       さっちゃんのひとりごと 209

                                                            聖イグナチオ教会でのお通夜に行って来ました。

                                                おごそかで故人の御家族の愛に満ちたじつに思いやりに溢れた見送りの儀式でした。
                                                  帰り道、最寄の駅を降り暗い住宅街を歩きながら
                                               「一人だったら、こんな時間にこんな暗い所歩けないよね。」
                                              そんなことを言って少し不安な気持ちでなおちゃんの腕をギュッとつかんでいました。

                                              私はふっと黒い二つの動くものにビクッとして 私達の行く道の上に目を落としました。
                                              それは私達の影法師でした。

                                              ( ああ、この影が一つになる日があるのですね )そ う心の中でつぶやき言葉にはなりませんでした。
                                                                                                                              H21.7.20 晴れ

 

                                              A.Torimoto

                                                QTE

                                           まだまだ父の残してくれた宿題が山積みで落ち着くまでには少し時間がかかりそうなのですが

                                        立教大学経営学部で父の追悼のページを作っていただいたことをお知らせしたいと

                                       父のパソコンからメールをしています。

 

 

                                                   立教大学での授業をお休みしていたところ

                                                   学生さんがビデオレターを撮りにきてくれました。

                                                   2008年7月に撮影されたものです。

                                                                               ( 以下の記事、写真は上記URL立教大学HP 追悼特集よりコピー転載 )

                           

                      追悼:松坂あき政さん

                                                                           (立教大学経営学部長・教授 白石典義

    7月半ば、経営学部は深い悲しみに包まれました。

 経営学部の教育の柱の一つであるビジネス・リーダーシップ・プログラム(BLP)で昨年から助教として活躍されていた元山年弘先生が7月15日に亡くなられ、そのご葬儀が終わったばかりの19日に、今度は松坂太先生が亡くなられました。

 

  松坂さんは、経営学部の設立時から、リーダーシップ教育を始め様々なアドバイスをくださいました。

経営学部の設立準備室が、各方面のリーダーの方がたをお招きして、 "Leadership Live"と称する勉強会を開催することに

なったときの第1回目の講師が、当時、日本ストライカーで、人事・総務を担当する常務取締役をしておられた松坂さんでした。

 ビジネスがグローバル化する中でのリーダーシップの重要性を、経営者としても、また人事、

特に人材開発のプロフェッショナルとしてもよく痛感されておられたからです。

  長い経験に裏打ちされた見識をもとに、BLPの構想の具体化でも多くの貴重なアドバイスをくださっただけでなく、

講師としてリーダーシップ教育の実践でも貢献されました。

  さらに、経営学部第1期生の就職活動を支援する学部の取組にあたっても助言と紹介をくださいました。

            松坂さんのご貢献に感謝し、ご冥福をお祈りいたします。

 

                                    (立教大学経営学部教授・尾崎俊哉) 

   松坂さんと小生とのご縁は四半世紀前まで遡ります。

海外の大学院を出て日本で就職活動を始めた小生がIBMに応募したとき、松坂さんは一次面接の面接官でした。

1985年の初夏のことです。

同年秋にIBMへ入社し、日本を含むアジア・太平洋各地のIBMを統括するAsia Pacific Group HQ(アジア太平洋グループ本部)の

人事部門に配属され、そこで最初の上司として、半人前以下の社会人一年生だった小生に、辛抱強く仕事の仕方、

そして社会人の基礎を教えていただきました。

 

  「自分は人事に向いていない、大学院で学んだ社会科学の知識をすぐに使える仕事がしたい」というわがままな希望もまともに

聞き入れていただき、2年経ったところで、日本アイ・ビー・エムの調査部門へ異動することになりました。

それ以降は、2005年に小生が立教大学へ奉職し、松坂さんに経営学部の開設準備でアドバイスをいただくまで、

 一緒に仕事をすることはありませんでした。

小生が社内留学でアメリカの大学院へ留学していた90年代の初めに、

松坂さんからIBMを退職したという連絡をいただいたからです。

 

  しかしその後も松坂さんとのご縁は続き、人生や仕事のことで、折に触れてアドバイスを頂いていました。

企業組織の中では、多くの上司や同僚、部下とともに仕事をしますが、ここまで長くお付き合いをするとは、

25年前の入社時には思っても見ませんでした。

松坂さんは小生にとって、まさしく「メンター」です。

 

 実は、松坂さんを追悼する文章をどのように書けばよいかと考えあぐねたのですが、

7月20日にイグナチオ教会で行われたお通夜のとき、松坂さんにとってのメンターであるヨゼフ・ピタウ大司教(上智大学名誉教授、元学長で、後にバチカンの教育庁長官をされました)が述べられた、簡潔かつ本質をついた追悼の辞を越えるものはできないと諦め、それをここにご紹介します。

  ピタウ先生は、松坂さんの人となりの本質を、「愛に満ちた家庭人」、「平和の架け橋たらんと具体的な実践をする国際人」、

そしてその両方を支える「キリスト者の信仰」の3点にあると紹介されました。

松坂さんのことをご存知の方は、すぐに納得されると思います。

小生も、ピタウ師は松坂さんの本質を良く見ておられたと唸ってしまいました。

  と同時に、松坂さんはメンターとしてのピタウ先生から、この3つを受け継ごうとしておられたのかもしれない、

またそのような人生や世界に対する自分の考えを、教育を通して次の世代を担う若者たちに示しておられたのではないか、

とも考えました。

 

  松坂さんからは、そのピタウ先生を"Leadership Live"に招いてはどうか、というアドバイスを頂き、

9回目のセッションに来ていただくことができました。

そこで我々は、ピタウ先生から、「キリスト教の伝統の上に立つ立教大学にとって、経営学部を開設し、経営学教育を行うとは、

どういうことなのか」という本質的な問いを投げかけて頂くことになります。

  この問いは、経営学の戦略論で教える、ミッションに基づく戦略の構築、という重要なポイントですが、

我々、立教大学経営学部の教員にとって、永遠に追求し続けなくてはならない宿題でもあります。

  今思うと松坂さんは、開設準備の日々の仕事に忙しく、このような本質的な問題を我々が少し疎かにしていたことに気付いて、

ピタウ先生にお話をしていただくことを提案されたのかもしれません。

その意味でも松坂さんは、経営学部をほんとうに「立教らしい」学部として立ち上げようという我々のこころざしの根幹の部分を,

一緒に作ってくれた恩人であり同士だと、改めて痛感させられます。

立教大学の守護聖人でもある聖パウロの生涯に自分の人生と重なる部分を見つけ、

大学生のときにキリスト教の洗礼を受ける際「パウロ」を自分の守護聖人に選んだ松坂さんには、

これからも我々が道に迷い、方向を失いかけたとき、見守り、示唆を与えていただけると信じています。

 

                   (立教大学経営学部兼任講師(BLP担当)、日本ストライカー・ホールディング株式会社勤務・齋藤和彦
                                       「齋藤さん、ちょっと・・・」

  松坂さんはオフィスで何か頼みたいことがあるときに、よくそんなふうに私を役員室に呼んだものでした。

松坂さんとは、99年の外資系医療機器の日本法人の立ち上げの半年ほど前からご一緒しました。

以来、2008年に松坂さんがビジネスの現場から退かれるまで、同社の人事部門において足掛け10年ほど仕事をさせて

いただいたことになります。

                                      「齋藤さん、ちょっと・・・」

  ある時、いつもと同じように呼ばれました。

当事、松坂さんは現場の第一線からは退かれ顧問に就いていました。

私もまた、他社の役員となっていましたが、ちょっと余裕があったので、助っ人として同社の人事の仕事を手伝っていたときの

ことです。

  今度はどんなリクエストかと思ったら、当事、松坂さんがアドバイザーとして関わっておられた立教大学経営学部の設立に関することでした。

BLPというユニークな講座について、どういう方向で進めていったらよいかをテーマに、二人でずいぶん長いことディスカッション

しました。

  思えば、そうやって二人で難局を乗り越えたことが何度かありました。

会社設立のときも、あるいは部内の管理職社員が相次いで辞めていってしまったときも・・・

どんなときでも決してグチをこぼしたり、人のことを悪く言ったりなどしない方でした。

  社長からは常に全幅の信頼を受け、社員からは、その誠実で天真爛漫な人柄で大いに慕われていました。

失ってみてあらためてその人の偉大さがわかる・・・まさにそういう方だったのではないでしょうか。

                                     私にとっても、職場において最も長く、そばにおられた方で、

                       今はあたかも苦楽をともにした「戦友」(上官と部下かもしれませんが)をなくしたような思いでいます。

                                      「齋藤さん、ちょっと・・・」

   はい、最後のご依頼お引き受けしました。

残された我々教員一同、これからもBLPを最高のプログラムに、

そして立教大学経営学部を東洋随一の経営学部にすることを目指し、全魂を傾けて参ります。

                                     どうか安心して見守っていて下さい。

 

 

 

 

                                                        松坂さんは2008年度春学期のBL4の授業の途中から療養に専念されました。

                               この映像は同年夏に当時のSA加藤走君が松坂さんのご自宅にうかがって撮影した受講生へのビデオメッセージで、

                               ご遺族のご快諾を得てここに掲載しています。

                               お話はBLP全体から、経営学部生が社会に出るときのことにまで及んでいます。

 



                                


 

                                            鎌倉 瑞泉寺にて松坂夫妻と梅見会メンバー

             

 

                        2008・9・2 間瀬君の受賞報告の回信メールに添付されていた複写

                                                                                                     

                             

 

                                                                                     2枚とも藤島君提供 撮影者不詳(?)

                                                                下駄履き                                             裸足