佐々木の写真スタジオ                 

                                                                                                                                                       

                                                                                                                                            

                                                                                                                                  2013在京白亜36会観劇と懇親会スナップ集

From: sasaki
Subject:                                        白亜36会の写真の件
Date: Thu, 17 Jan 2013 17:39:


佐々木です。
今年も宜しくお願い致します。

昨日、在京白亜36会で俳優座の観劇と懇親会が行われました。
その時の写真で、舞台での記念写真を取り敢えずお送らせて頂きます。
幹事グループの話では個人への送付は不要でホームページで見てもらいたいとのことです。
お手数ですが、ホームページへの掲載をよろしくお願い致します。

又、その時のスナップ写真もお送りしたいと思います。そのうちの何枚かをホームページに掲載して頂きたいと思っておりますが、

どのようにして何枚ぐらいお送りすれば良いかと考えております。
メールへ添付するのか、CDにコピーしてお送りするのでも結構です。




 

2012/5/15 Tue

白亜36会古希記念総会

 

 

 

 

                              Date:2010/1/17, Sun 22:28
                            From:佐々木
                            Subject:                                                                
白亜36会写真送付
                             To:'写真クラブ

            佐々木です。
私の撮ったものの一部を添付ファイルでお送りします。
北さんの方がピントが良いようです。
     

                     

 

                                                  佐々木 喬君の写真スタジオ(仮称)        

 ライン 猫

                                                  在京白亜36会2010年度例会

    

 

 

  

   立花君、参加の皆様へ

素晴らしい芝居を見せていただき、また皆さんが集まれる良い機会を作っていただき有り難う御座いました。

場所が、校歌など、ちょっと歌えない状態だったので、皆さんには物足りなかったかと思っております。

次回、5組幹事の全国大会では、是非大声で歌えるように、よろしくお願い致します。

                                                          佐々木

  

-- 立花君
  お疲れさまでした。 今日は 病院へ行ってきましたか?

 昨年からの地方公演もありやっと正月休みが 来たような 気持ちではありませんか?
 今回感じたことは「何故所属の違う方々の合同公演なのか」ということが ちょっとわかりました。
前回は筋書きを追うので一生懸命でしたが 今般は一人一人の役に徹した素晴らしさをなんとなく分かろうとする気持ちが

自分の中にあったような気がしました、 

それぞれ素晴らしいキャリアーを持ったあのような人々は一つの劇団だけでは難しいだろうな と思いました。

では また。
               間瀬
PS 1月20日 より また マニラに行って参ります。 27日ころには戻る予定です。

  

 

  

 >岩城君、佐々木君、観劇くださった皆々様へ
>
> 36会懇親会、観劇会、本当にご苦労様でした。
> 舞台で芝居しながら、「あ、あの笑いはうちの連中だな」などと思いながら演じてました。懇親会、途中退場失礼しました。
> 隣の店に行ったら芝居の打ち上げも宴たけなわでした。
>
>その芝居も遂に昨日、千秋楽、全てを終えました。
>16日打ち上げをやった筈なのに、皆別れ難く昨日もまた役者だけ全員集まり最後の別れを惜しみました。
> さて、明日から何をしたらいいんだろう、皆そう言ってました。
> その位長い芝居でした。
> みんな貧乏人でゴルフやる奴なんか1人も居ません。
> みんな散り散りばらばらに散っていきました。
>> 間瀬君
> ちょっとお話した黒澤明の「悪い奴ほどよく眠る」のリメークテレビ版。
> 2月26日(金)フジテレビ 金曜プレステージ 21:00?からやるようです。
>> 悪い奴で出ておりますのでお気が向いたら・・・
> どうも上手く皆にメールを送る事が出来ません。
> 宜しくお引き回しのほどを・・>
                             Tachibana Kazuo

   柏木君
    メールありがとうございます。
  みんなそれぞれがそれぞれの思いを持ってあの芝居を見て下さればもう言う事は有りません。
  芝居って教育でもなくプロパガンダでもなくその人の心の内の反映なのだと思います。
 
  役者は舞台の上が全て、それ以上でも以下でもなくまして終わってから芝居や演技を説明も解説も言い訳も

 出来るものではありません。
 役者に喋らせてはいけないのです。
 ・・・な〜んて喋りの下手な役者の言い訳でした・・・

  懇親会ではゆっくり出来ずお話も出来ませんでしたが、あれから芝居のほうの打ち上げに顔を出して帰路に着きました。
     本年もまた宜しくお付き合い下さい。
                                     立花 一男

                               

 

 

 

 

   

 

   
      立花君、幹事さん、皆さん

  二回目の観劇でしたが、以前見たものと何か違うのではとの感じで観ておりました。

終わった後、隣の席の柏木君へ舞台設定は前と違ってるのではと?を投げかけると同じだよとの答えでした 。

私の勘違いは、恐らく裁判員制度が発足して、以前に見たときと今回では芝居への思い入れが違った事によるのであろうと

自問自答したところです。

  勿論役者さんの役へのさらなる思い入れによることかもしれません。

長いセリフ、芝居の最後に見せた静止画像、さすがプロ集団の思いです。

有難うございました。

 

  さて、宴会の席で申し上げた2011年の白亜36全国総会の開催日程をもう一度連絡しておきます。

開催日:2011年5月12日(木)〜13日(金)

場所 :箱根湯本

目的 :高校卒業後50周年を記念する会合として、全国の白亜36メンバーに声をかけ集まっていただく。

詳細は現在担当組の在京白亜3年5組と有志で検討中です。今年度中旬には、もう少し具体的な内容を連絡します。

在京白亜36の多くの参加を望みます。

                                                                小林


    

  立花君
  やっと千秋楽もおわり ほっとされたような、気の抜けたような気分になられたのではないかと思います。
 なんか一緒に演じた方々がまた其々に分かれてゆかれるのも寂しいものでしょう。
 私はこの演目は2回目でしたが前回見せていただいた時とくらべてずいぶんと練れてきたなあと感じました。

 もの忘れが始まっていますから前回もそう感じたのかもしれませんが

いずれにしても一人一人の言葉がよく耳に入ってきました。

こうならどうだろう、ああならどうだろうと自分であれこれシミレーションしている考え方、

説明の仕方が次々と繰り出され本当にこの作品は広くいろんな考えを網羅しているものと感心しました。

やはり名作ですね。

言葉の劇なのでしょうが一人一人が喋っていないときの動作にもその人達の年輪を感じさせる仕草や表情があって

実に臨場感がありました。

つい言葉にとらわれ勝ちなのですがそういうわずかな動作、仕草がお芝居では実に大切なのだと気付かされました。
  松橋登という人は上智大学のフランス語科で南舘君の3年後輩と南舘君から聞きました。

いろんなキャリアの人達がお芝居が好きで演じ続けているのですね。

 

 これからも面白いお芝居を我々に見せる機会を作ってください。

身体には気をつけて。
     柏木宣郎

 「12人の…」は、平成7年、平成16年(品川区のきゅりあん)で、そして今回と三度観劇しました。

どうしても初回の陪審員8を演じた山本亘の「日本は少数意見への許容量が少ない社会だけにこの芝居を上演する意味を強く感じる…」の言葉とともに彼の演技力が強い印象を受けたので前回の松橋登の演技に疑問を呈したことを伝えてお叱りを受けました。

陪審員4の立花氏は初回こそ「論理的な人間を演じるのは、初めてというほど不得手な役柄…」と謙遜したものの堂々たるものでした。

2回めの「きゅりあん」は俳優座の舞台とは違った雰囲気のなかでどうかと思ったのですが、最後の場面でピンと張りつめたなかで観客の目が一斉に舞台に注がれているのが印象的でした。

 立花君の存在感ある演技は「この男の人生がでるところまで粘ってみたい」の言葉を裏付けるものでした。

今回は蜷川演出の「12人…」が各紙に取り上げられていて陪審員8は中井貴一でしたが、動と静の対立などそして陪審員3の最後まで少年の有罪に固執した頑迷固陋ぶりこそ我々の日常感覚に近いだろうという評は、三木敏彦さんの演技にも当てはまると思いました。

ラストシーンの沈黙も印象的で、立花君が彼の肩に手をやり、何か言うのかと思ったら無言で退場!

松橋登の演技は素晴らしいはずそしてどんどん良くなった今回の芝居を是非見てほしいといったことを実感しました。

今回のカタログを読むと、立花君に「敬愛する秋元松代さんの作品に演出家として挑んでみてはいかがでしょうか」との言葉がありました。健康に留意して是非挑戦してほしいものです。

  今回、大谷先生の『異国往来 長崎情趣集』も持参し、巻末の写真(先生と立花君)の箇所に立花君の署名をもらおうと思いましたが

タイミングを失してしまいました。

564頁もある大著は折にふれて読みたい。

 

 今回送付された写真に『北の文学』が写っていますが、例の野中氏の小説が掲載されているものでこれも今回持参したものです。

福井雄三『「坂の上の雲」に隠された歴史の真実』(主婦の友社)を読んでいると、母校の校歌にふれているのです。

「…学校の校歌の曲が、『軍艦』のメロディ―で何が悪いのだ」という姿勢を学校関係者が断固として貫き校歌を廃止せまいとして、

一歩も引かぬ構えを示したために、さすがにGHQといえどもそれ以上は強要できず、結局この校歌はそのまま存続を許されて、

新制の盛岡一高へ受け継がれることとなった。」「…時流に抗してこのような反骨の姿勢を貫き通した学校が存在したのである。

 南部藩伝統の反骨精神のたまものなのであろうか」作者の高校教師が感動をもって盛岡一高のエピソードを語ったという。

43年の甲子園で盛岡一高が勝ち進むたびに校歌を聞きその迫力に肝を抜かれ53年の甲子園出場のときは

盛岡一高のスタンドから応援し一緒に校歌を歌ったのだという。

 こういう経緯はみなさんご存じでしょうが、恥ずかしながら初めて知りました。

校歌を歌いたくないという知人もいますが、この経緯を聞くと自信をもって歌えるのではとも思いました。

(全文6頁ですので添付資料で送ればいいのでしょうが操作できませんので情報です。)

   飯坂 慶一

   

  

                 

 

                 

 

                 

 

                 

 Date:2010/1/20, Wed 10:53

 みなさまへ

 久しぶりの同期会楽しませていただきました。

お芝居も機を得たもので、裁判員に当たってしまったら自分は8号になれるだろうか?

10号になってしまわないだろうか?

などとあらぬことを考えたりしておりました。

懇親会も盛況であっというまの時間でした。

立花さん、テレビも楽しみです。お体大切に!

                                            安井

 

Date:2010/1/20, Wed 10:17

 岩城幹事長さま 幹事の皆様
 同期会からあっという間にもう4日も過ぎてしまいましたが、今も楽しかった一 時を何度も思い出し、

幸福感にひたっております。
 幹事の皆様本当にお疲れさまでした。 そしてありがとうございました。
                         高井
 

                 

 

                 

 

    16日の白亜36会の観劇会及び懇親会はご苦労様でした。

 当日撮った写真を添付で送りますので、お手数ですが何時ものようにHPなどへの掲載お願いします。

 小生の撮った写真は、佐々木君の助手として撮ったものですから、佐々木君の写真を補完するものとして使ってください。

 リサイズしましたが、それでもファイルサイズが大きいと思いますので、3回に分けて送ります。

 北村 耕

   

      Date:2010/1/22, Fri 20:38
Subject:Re:
2010年例会の写真雑感
   北村です。
  前回のメールで16日の写真を送ったとき、最初は全画像をメール添付で送ったら、途中で送信エラーとなりました。
これではいけないと思って、すぐに Windows Live メールの「写真つきのメール作成」で3回に分けて画像を送り直しました。

  最初のメール送信で皆さんには画像付きで届いていた、という事なんですね。
それを知らずに、同じものを再度送ってしまい、大変申し訳ない事をしました。
これからはファイルサイズが大きい場合は最初から小分けして送る事にします。

今回のように、何か問題があれば黙っていないで指摘していただくと、改善につながりますので、助かります。

  それにしても、徹夜をしてでも頑張って一生懸命やっているんですね。  見上げたものです。
しかし、あまり無理をしない方が良いですよ。
  懇親会のときにも言ったように、それまで全く問題の無かった(と思われていた)人が、

小生のように突然倒れてしまう、という年齢に我々はなったという事を自覚してください。

  特に血流に関する病には十分注意する必要があると思います。
血圧を下げ、コルステロールを下げ、更に水分をこまめに沢山摂取し(アルコールは水分には入らないので注意)、

血流を良くして長生きしましょう。
  ついこの間も、元巨人と阪神の小林投手が心筋梗塞で突然死しました。  同じ年代です。??
長くなりましたが、皆さん、ご自愛を。

 

      

       

      

 

      

 

                               

 

    

 

                                

 

      

 

 

                                                                             2010年在京白亜36会

    6日に開催された白亜36回の観劇会及び懇親会での写真を送ります。
小生の写真は、佐々木君の助手として撮影したものですから、佐々木君からの写真をメインとし、補足的なものとして使ってください。
何時ものように、HPへの掲載などに使い、皆さんへPRしてください。
よろしくお願いします。     北村 耕

 

                      

Date:2010/1/19, Tue 18:22
From:yoshimi.shoji
Subject:【時間と興味があればお読み下さい】

 

 立花さん ; ご苦労様でした。最後の無言の演技にグッと来ました。
        今後は体調回復に向けてご精進下さい。

幹事さん ; ご苦労様でした。
間瀬さん ; 写真は見ることができました。皆いい顔をしています。

各位   ;
懇親会で私に順番が来たら披露しようと思う事がありました。

残念ながら声がかからなかったので下記に紹介致します。

お時間と興味のある人だけでも読んでみてください。
懇親会で「田舎者、今では立派な都会人」との川柳が披露されましたが、未だに田舎者で、しがない南部藩士の末裔の戯言ですが。

      −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 昨年11月に仙台の叔父の見舞いに出かけた折に白川に寄りました。

以前から白河の関を訪ねたいと思っていたからです。
新白河の駅に着き白河の関行きのバスを探したのですがうまいのが見つからず、タクシーに聞いた所、

往復で7千円で行ってあげるとの事でした。
叔父の所に行く前だったので、安月給取りの身では懐具合が心配だったのですが、タクシーに乗りました。

 現地は低い山並みに両側が囲まれた平坦地の田んぼの真ん中を通る普通の道路でした。

どこにでもある田舎の道路です。

その傍らに白川神社の小高い丘があり、偶々運転手さんが高校生の時にここの発掘の手伝いをしたとの事で、

この場所が白河の関である証拠を縷々説明してくれました。

 そのなんでもない普通の道路に立ち、北を向いた時「ここから向こうが俺達の国なんだ」と言う突然の感激に襲われました。
奥州はここから始まり、昔、朝廷軍に散々痛めつけられ、近世では戊辰戦争で官軍に痛めつけられた数々の歴史を経た現場に

今立っている思いが胸を押しつぶすような感激となったと思います。

 私は父からは折有る毎に我が家は南部藩士の家で、戊辰戦争の時には秋田征伐に参加したのだ、

お前は侍の子なのだと聞かされて育ちました。
家格は低い方だったのではとは思いますが、子供の時から誇り高く生きると言う思いが植えつけられたのではと今にして思います

(良かったか悪かったかは別にして)。
 江戸時代の侍の実態は殆どが貧しい暮らしだったと思いますが、それでも誇り高く生きていた伝統が維新後の日本の文化形成に

非常に影響したのではと私は考えております。

 帰りの車で白河市内の川に差し掛かった時、戊辰戦争の時捕虜となった奥州列藩同盟傘下の白河藩の兵の処刑が行われ、

川が真っ赤に染まったと教えられました。

車を降りて川に手を合わせて帰途に就きました。

 自宅に帰ってこの話を女房にしたのですが全く共感をしてくれないばかりか、「7千円あれば旨い物が食べれたでしょうに」

との返事には返す言葉もありませんでした。

以前から、侍なんてお百姓さんの血が滲むような努力の上に胡坐をかいていたではないかと言うのが女房の意見ですが

(これも真実ですが)。
 懇親会の時に私の隣に座った小林さんにこの話をしたら、嬉しくも強い握手をしてくれました。
さて、皆さんは私と女房のどちらに共感されるでしょうか?
                           吉見

                                                        ◆

Date:2010/1/20, Wed 19:00
From:小笠原 正明 Subject:RE: 【暇のある人は開いて下さい

 

   つくばに住む小笠原です。
 
幹事の皆さん、本当にありがとうございました。
最高に楽しい会でした。
立花さん、良かったです。迫力でした。
むかし映画で見たとき、最後に「民主主義とは手間ひまがかかる制度なんだ」というようなセリフがあったように覚えています。

演出により多少違ってくるのでしょうか。
---------------------------------------
 
旧南部藩士の子孫である吉見君の感慨を読んで、私も一言。
杜陵小学校のころ担任の米内先生から「勝てば官軍」という言葉を教わりました。
中津川の対岸にある「岩手公園」を指さして、「あそこにあったお城は官軍に焼かれたんだ」とも言われました。
こんなユニークな「歴史教育」を受けた人はいないだろうと思っていたら、会津高校出身の人が
「うちの高校の卒業式では、校長が式辞の最後に『身を立て名をあげ戊申の恨みを晴らせ!』と叫ぶことになっている」
と言っていました。

 
私の家内は秋田の出身で、岩手日報で「佐藤昌介伝」を連載したとき、秋田戦争の下りでは「検閲」を受けました。
私がときどき「鹿角を返せ」と言うと、「絶対返さない」と言い返します。
鹿角は昔から国境紛争の地で、戊申の後、秋田に編入されました。
こういうゲームができるのも北東北という土地の面白さです。

 
ちなみに古代の北東北で稲作を伴った文化が最初に居着いたのは秋田の仙北郡と言われています。
盛岡は洪水常習地帯で、400年前までは人が住めませんでした。(仙台も同様でしょう。)
紫波は古いのですが、水利が悪いので仙北よりも遅れて開発されたはずです。
盛岡の仙北町は仙北郡からの移住者が住んだところです。
(武装した)稲作農民は仙北から鹿角(と恐らく雫石)に植民し、鹿角から八戸、津軽へと進出しました。

 
藤原氏(清原氏)は仙北に本拠を持ち、多賀城にあった陸奥の国司との力関係で、平泉や胆沢まで進出したり引っ込んだりして

いました。
山梨に本拠を持つ清和源氏は、頼朝の代に藤原氏を謀略して東日本に覇を唱えました。
南部氏は清和源氏の名流で、名実ともに八戸(根城)に移住したのは南北朝時代です。
陸奥の国司になった北畠顕家に従い、南朝の主力となって関東・畿内を転戦しましたが、大阪の石津というところで全滅しました。
私の母の実家では、その供養のため今でもひな祭りをしないと聞いています。

 
秀吉の小田原攻めと九戸政実の乱の後、三戸の南部信直が南下して盛岡に入り、杉土手を作って北上川の流れを変え、

城下町を作りました。
南部の三戸と八戸(後に遠野)のどちらが本家筋かは難しい問題です。
江戸期は本家は三戸とされ、系図もそのように作られましたが、南北朝まで文献でさかのぼれるのは八戸の方です(南部家文書)。
三戸の城は戦国末期に焼けて文献が失われてしまったという事情もあります。

 
南部に興味のある方は、ぜひ八戸市の根城と櫛引神社に行ってみて下さい。
根城のお城は丁寧に発掘・復元されていて、当時の生活が良く分かります。
一見の価値があります。
                  
小笠原正明


Date:2010/1/21, Thu 23:28
From:Keiichi Iizaka

Subject:【時間と興味があればお読み下さい】

小笠原正明様へ。
同期会で持参した『佐藤昌介伝』(熟読して汚してしまった)に素晴らしい
サインを頂戴してありがとうございました。
 持参した『石上玄一郎論』に話が及びましたが、彼の父は札幌農学校に学んだがストライキに加担して放校。

 札幌農学校では有島武郎と親交を結んでいる…など。
三浦宏氏は、『石上玄一郎小説作品集成』全3巻を熟読し、これぞ小説という筆致と取材の深さ、

独特の存在感に引き込まれ圧倒された由、先月帰省時、県立図書館で閲覧し、とりあえず持参の本を購入した次第です。

 実は大仏次郎研究会に一高の後輩と参加しています。

『天皇の世紀』もまだ3巻までですが、第一巻「黒船」で、南部藩の百姓一揆について詳述しており驚きました。
 盛岡では、郷土史家が多く存在する旨話がありましたが高橋清明氏(40年卒)の著書『南部史考』もあっという間に売り切れ

 入手できませんでした。
 野中氏の「滝名川二番堰」(「北の文学」59号)の題材も、44度も繰り返されたという「志和の水争い」で

特に凄まじかった明治33年の水争いを小説にまとめていますが、南部藩と八戸藩との歴史的経緯を踏まえていますね。
 平成19年、九戸城跡で頭骨のない十数体の人骨が発見、これが、秀吉側が虐殺した籠城者?という新聞記事を読みました。

高橋克彦氏が『天を衝く』で九戸政実伝を書いていますが、二戸市のパンフを見ると、「九戸城跡地形図」があり、

現場は当時の面影を偲ぶことができそうですね。

蒲生氏郷という人物にも関心があり、会津にも3度ほど出かけました。

会津高出身者も知り合いにおり同じ話を聞きました。

多賀城跡にも以前でかけましたが小生の関心事はここで亡くなった大伴家持です。

 話が変わりますが、今年は『遠野物語』発刊百年ということで遠野が脚光を浴びますね。
岩手日報も平泉の特集が続いていますが、遠野物語の特集がめだっています。
遠野市では『遠野物語へようこそ』(筑摩新書)を全戸配布したとのことです。
小生、遠野で小学校5年時を過し、吉田英夫君と同級でした。

日本地名研究所の地名研究者大会には10年来参加して、退職後は会員となって活動?しています。

今年の全国大会が遠野で5月に開催され参加する予定です。 遠野も歴史がありますね。
石井正己氏の『遠野物語を読み解く』などを参考にしながら同人誌に「六角牛山と笛吹峠」を書きました。

 この辺で止めます。これからも情報をお寄せください。
     1月21日  飯坂 慶一

 

                  

 

                  

 36会の皆様へTo:皆さんへ
Fm:幹事一同
1月16日の在京白亜36会も無事終了(遠藤君の不参加が気にはなってますが)し、幹事一同ホットしてます。
佐々木君、北村君、小畑君からの写真も白亜36会のHPやメーリングリストのグループページに載り、これで今年度の幹事の役割は終了したと思ってます。(まだ一月!)
では、次回の全国合同36会には皆さん元気な笑顔で再会しましょう。
                                 以上

                              ◆


   
立花君からお礼のメールが届きました。
直接皆さんへの送付がうまくいかなかったようで、私宛届いたメールを転送します。
立花君は体調不良のようで、体も大分痩せて見えました。
悪いやつになって、良く睡眠をとり、早く元気になって欲しいですね。
                               
岩城弓雄

                          

 

                          

 

                          

 

                          

 

                          

 

                          

                     阿部剛巳です。
   歴史に興味ある身としてはとても興味深く読ませてもらいました。
吉見君が南部藩士の末裔とは、昔、多分聞いていたでしょうが忘れていました。
歴史は勝者が作るもの、まさにその典型かと思います。
陸奥、藤原時代の幾多の書物を読みながら悔しい思いをしたことも多々ありました。
維新後は官軍に敗れた悔しさをバネに国の重責を背負った先人・偉人が輩出したことがとても誇りです。
「誇り高く」、岩手県人の思いが凝縮されていますね。


   残念ですが、小沢幹事長は岩手の「人」とは私にはどうしても思えません。
原敬にしろ、米内」光政にしろ、愚直にも国の危機に身を捨てて立ち向かったのです。
それが、小沢幹事長は何ですか、つまるところ「金権」「蓄財」でないですか。
   まあ、女房殿との会話は「男」と「女」の違いですね。「姓」の違いは永遠ですね。
忘れましたが、南部藩で「安藤某」なる人物が江戸時代、今でいう「酪農」を唱えていました。
先見過ぎたのかか、体制の激変なのか実現はしませんでした。
南部藩主が誰だったか不明ですが、幕府の米作政策に叛旗を翻して酪農国家を作っていたら、

北東北(陸奥、出羽)、蝦夷はとても存在感が重要な半独立国になっていたかも・・・と。
今でも夢想しています。
 久しぶりに、故郷への思いを回帰させてもらって吉見君、有難う。

 

                     

 

                   2009年5月23日例会  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぴんぼけしゃしん

                                              かめら:小畑けいたいP01A