牧師メッセージ

十戒、神との約束

出エジプト記 20章1~17節

あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。 (20:3)

十戒の前半の最後は、安息日を大切にすることです。6日間は仕事をし、7日目には休むようにとの掟です。大切なことは、自分が休むだけでなく、一緒に生活しているすべて、家族も使用人も家畜まですべて休ませなさいと命じていることです。その根拠を神の天地創造においています。天地創造をされた神が7日目に休まれたのだから、神の被造物であり神に似せて作られた人も神と同様に休む、ということです。

憐みは裁きに勝つ

ヤコブの手紙 2章8~13節
人に憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きが下されます。憐れみは裁きに打ち勝つのです。 (2:13)

キリスト者の間では、人を分け隔てすることがあってはいけません。人を分け隔てすることは、人間の罪によることだからです。旧約聖書は神と人間の関係を歴史的に描き出しています。神が人間を創造されたとき、人は互いに助け合う者であって、人が人を分け隔てするということはありませんでした。しかし、人が豊かになるにつれて、人は人を分け隔てするようになっていったのです。そのことを神は大変に悲しまれ、心を痛められたのです。

真理を聞き分ける知恵

列王記上 3章4~15節
どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。(3:9)

善悪を判断すること、正しく聞き分けること、これはどの世の中においても指導的な立場にある人に求められることです。家庭においても、学校においても、職場においても、政治の世界においても、必ず指導的な立場に置かれる人がいます。だれしも、どこかで指導的な立場になっているのではないかと思いますので、これは全ての人に言えることだと思います。世の中でよい指導者と呼ばれる人は、正しく聞き分けることができる人、善悪を正しく判断できる人なのではないでしょうか。このことを最も求められる仕事が裁判官であろうかと思います。

生涯の日を数える

詩編90編1節~12節
生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。 (90:12)

不老長寿は空想ではないかもしれません。遺伝子を研究している人々は、細胞を操作して何年たっても細胞が古くならないようにする研究をしています。ips細胞を注入することで、細胞を若返らせることができるようになる日も、そう遠くはなさそうです。医学の発展は確かに多くの人を幸せにしました。しかし、そこにも限度があることをわたしたちは知る必要があるのです。地上におけるわたしたちの命の長さに限度があることは、意味があることなのです。神がお決めになるわたしたちの命の長さを、わたしたちがどこまで伸ばしてよいのか、わたしたちは聖書に聞かなければなりません。

天の国を受け継ぐ望み

コロサイの信徒への手紙3章18節~4章1節
あなたがたは、御国を受け継ぐという報いを主から受けることを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。 (3:24)

妻と夫、こどもと親、奴隷と主人、これらは、家庭における人格の関係であり、ここで勧められていることは、どのような人格関係においてもキリスト者としての生き方があるということです。さらに、ここでは、夫婦に対しては妻への勧めが夫に対する勧めの前にあります。親子の関係では、こどもに対する勧めが、親に対する勧めの前にあります。奴隷に対する勧めが、主人に対する勧めの前にあります。実はこのことは、当時の常識であった夫と妻、親と子、主人と奴隷という上下関係を暗に批判、否定しているのです。当時の文章としては画期的なことだったのです。手紙を読んだコロサイの人々は、そのことにすぐに気がついたことでしょう。そして先に読まれた言葉「キリストに結ばれて、キリストに根を下ろして」の意味が理解できたことでしょう。自分がキリストにつながっているということに気がつくと、妻と夫、こどもと親、奴隷と主人という家庭における人格関係もキリストによって結ばれた関係であることに気がつくのです。キリストによって結ばれた人格関係は、愛の関係です。相手のことを思い、仕方なくではなく、いやいやでもなく、自ら進んで相手のためになることを行うのです。

耐え忍ぶ者は救われる

マタイによる福音書10章16節~25節
また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。 (10:22)

戦争中のキリスト教弾圧は、国家による迫害でした。しかし、戦争が終わっても迫害はありました。一つの例をお話ししたいと思います。
甲府から富士川沿いに南に下ったところに峡南教会があります。設立されたころは、土地の名前をとって切石伝道所と呼ばれていました。身延山の麓です。身延山には日蓮宗総本山の久遠寺があります。全国から日蓮宗の信徒が集まってくるところです。そのような土地柄ですから、身延山周辺はほとんどの人が日蓮宗の信徒です。そのような土地に、境南教会が建てられているのです。いくつかの教団が伝道を試みまたようですが、あまりの厳しさに伝道をあきらめ撤退し、日本基督教団切石伝道所だけが残っていました。切石伝道所も閉鎖することを検討していたそうです。神学校を卒業したばかりの山中達郎牧師は、切石での伝道を志願しました。日本基督教団の伝道関係者は、あそこでの伝道は無理だからといってやめさせようとしたそうですが、山中達郎先生は強く希望して赴任されたのです。では、3年だけやりなさい。それでだめだったらあきらめてください、と言われたそうです。

仲直り

創世記33章1節~4節
エサウは走って来てヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけし、共に泣いた。 (33:4)

今日の聖書に出てくるヤコブとエサウは双子の兄弟です。7月の日曜学校の礼拝ではこの二人の名前が何度もお話に出てきましたね。双子ですけれども、この二人はあまり仲がよくありませんでした。エサウが少し先に生まれてきたのでお兄さんでした。このころの決まりで、家の財産はお兄さんがもらうことになっていました。ところが、ヤコブはエサウとお父さんのイサクをだまして、財産を奪い取ってしまったのです。それを知ったエサウは怒りました。「いつかヤコブを殺してやる。」と心の中で言いました。それを知ったヤコブは恐ろしくなって大急ぎで逃げ出して、遠くに住んでいるおじさんのラバンのところに行きました。

輝く預言の言葉

ペトロの手紙二 1章16~19節

こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。 (1:19)

信仰というものは、育つものです。最初から強い信仰を持っている人など、ひとりもいません。主イエスは、0.1ミリほどの小さなからし種であっても、やがて鳥が巣を作るほどの大きな木に成長する、信仰とはそういうものだ、というたとえ話をされました。数年前に種から育てたからし種の苗木をいただき、大切に育てました。しかし、1メートルほどの大きさにまで育ったところで、枯れてしまいました。とても残念でした。成長の過程にある小さい苗木は、枯れやすいのです。

神の輝きを見る日

イザヤ書35章1~10節

主に贖われた人々は帰って来る。とこしえの喜びを先頭に立てて/喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え/嘆きと悲しみは逃げ去る。 (35:10)

教育に携わる者も、政治に携わる者も、自分の利益のために行動する、しかもそれが悪いことであっても、わからないようにやればよいという悲しむべき思いに捕らえられてしまっている人が世の中には結構多くいるのではないでしょうか。社会的に地位のある者、権力を持つ者たちが、平気で悪を行う、社会正義はどこに行ったのでしょうか。

神による試練

マタイによる福音書4章1~11節

さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、"霊"に導かれて荒れ野に行かれた。(4:1)

わたしたちが生きているこの世では、時として不条理なことが起こります。なぜそうなるのか、なぜそのような目に遭わなくてはならないのか。なぜ自分の身にばかり起こるのか。理解できず、納得できないことが起こります。