神の国の秘密

(2017年2月 5日)

マタイによる福音書13章10~17節

この民の心は鈍り、/耳は遠くなり、/目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、/耳で聞くことなく、/心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』 (13:15)

聖書、特に新約聖書がわかりにくい最大の理由は、神様が見えないこと、神の国が見えないこと、どこにあるかわからないことなのではないでしょうか。

イエス様の伝道は2-3年という短い期間でしたが、イエス様が生涯をかけてイスラエルの人々、ユダヤの人々に伝えようとしたのは、天の国、神の国こととでした。神の国、天の国に招き入れていただき、神と共に永遠に生きるという希望を人々に伝え、そのためには天の国に至る道を歩みなさい、道に迷わないようにしなさいと、この世での生き方を教えられたのがイエス様でした。しかし、天の国、神の国を直接語っても、聞いている人々になかなか伝わらない。見えない天の国、神の国はわかりにくいのです。そこで、イエス様は、たとえを用いて、わかりやすくお話をされました。「天の国はからし種に似ている。」「天の国はパン種に似ている。」「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。」などなどのたとえ話をされました。わかりやすいように、抽象的に説明するのではなく、イスラエル、ユダヤの人々の生活に沿った話にたとえて、神の国を語られたのです。
いろいろな疑問を持ちながら、この聖句に取り組みました。徐々に、わかってきました。
まず、「秘密」という言葉です。旧約聖書には「奥義」という言葉が使われていますが、ほぼ同じです。なかなかわからないが、必ずわかる日が来るのがミステリオンです。
次に問題なのは、「許す」という言葉です。「許す」と訳されている言葉は、ギリシャ語のディドミという言葉で、意外にも「与える」という意味の言葉なのです。どうして「与える」をここでは「許す」と訳したか、その理由を推察すると、わたしたちは罪人であり、神から何も与えられなくても仕方がない存在であるが、人を愛する神から特別に許されて神の国を悟る力を与えられている、という信仰の言葉ではないかということです。
イエス様の話を聞いていた人々の多くは、イエス様の言葉を信じ、受け入れて神の国、天の国に行きたいという願望、そして行けるという希望を持ちましたが、中には、悪意を持って聞いていた人々もいました。ユダヤ教のファリサイ派や律法学者たちです。今日の聖書の前のページ、23ページの上の段後半の38節からの話も、ファリサイ派と律法学者がイエス様の言葉を裏付ける証拠=しるしを見せろと言っています。イエス様の話を信じていないのです。むしろ、イエス様の話の言葉尻をとらえて、イエス様を陥れようとしていたのです。イエス様が「あの人たち」と呼んだのは、実は群衆ではなく、ファリサイ派や律法学者たちのことだったのです。イエス様の話を真剣に聞いていた人々は、弟子と同じ側、「あなたがた」に含まれているのです。ですからわたしたちも弟子たちと同じ「あなたがた」と呼ばれる側にいるのです。