2006年10月13日・20日・27日、3回にわたって

連載された体験談を、編集せず、そのまま、載せました。

                         (名前だけ、HNに変えました。)

 

週刊がん もっといい日  2006年Vol.29  10月13日更新

悪性黒色腫、そして乳がんに侵された
のんたんさん(23歳)からのレポート

「私はもう一人ではない」


がんとの闘い。がんの種類、医療機関、治療法、そして日常生活等々、人それぞれ異なりますが、共通していることは「生へのあくなき挑戦」です。決して諦めずに、闘う心をもつこと、そして良い医師、治療法との出会いも大切なキーワードでしょう。静岡県在住の、のんたんさんは、10代で悪性黒色腫(ほくろのがん)、そして20代で乳がんと、二重がんに侵されました。しかし、「絶対に治すんだ」という強い意思を持ち、日々、がんと闘っています。そののんたんさんから、「週刊がん もっといい日」編集部に、闘病記が寄せられましたので、ご紹介しましょう。


その1
10万人に1人といわれている「ほくろのがん」のこと

●16歳のときに主治医から「悪性黒色腫」と宣告される


 最初は13歳(中学2年生)の夏、左頭部にあざのようになっていた部分がブヨブヨしてきて、慌てて病院を受診し検査のため手術を受けました。病理の結果は、「良性・悪性というはっきりした結果が出ず、悪性ではなさそうだ」という曖昧な結論で、経過観察になりました。良性・悪性の意味がわかっていなかった私は、その後は気にせずに生活していました。16歳(高校2年生)になり、その部分が盛り上がってきて、髪の毛を縛ると目立つようになり、病院を受診。「髪の毛を縛ると目立ち、髪の毛のお洒落ができないから、手術して取り除いて欲しい」そんな軽い気持ちで、冬休みに手術に望む決意をして、再度、病理検査の結果、「悪性」と診断されました。「この年で? 10万人に1人といわれている病気なんて、何かの間違いではないか」何度も疑問に思い、主治医の先生にも説明を求めました。主治医の先生は、いろいろな先生に診ていただき意見を求められましたし、私の両親も、「手術を受けるべきか否か」とセカンドオピニオンをとり、最終的に「悪性黒色腫」という病名が確定したのです。

■「6か月間、生きられるかどうか・・・」

告知は、17歳(高校2〜3年生になる春休み)。主治医の先生から、「悪性黒色腫という、ほくろのがんで、分類としては皮膚がんです。3か月は生きられるだろうが、6か月となると、果たして生きているかどうかわからない。高校の卒業式は無理かもしれない」。そう言われました。
 今まで、クラスメイトが入院したり、病気になった経験がなく、お爺ちゃん、お婆ちゃんは元気に働いていて、曾お爺ちゃん、曾お婆ちゃんは老衰で亡くなっていたので、私のなかでは、「人は老衰で安らかに最後を迎えるのだ」という意識が強く、死に対しては、病気で亡くなるという意識はありませんでした。
私の高校生活は、生徒会役員・学園祭の実行員・部活といろいろなことがとても充実していて、毎日が楽しい日々でした。何でも興味を持ち積極的に行動し、いつも笑っていて、「ここの学校に進学できて本当に良かった」と思うような日々でした。
 それが、突然、がんの告知。そして死について深く考えることになり、目の前は真っ黒になってしまいました。周りに気を使って、とにかく「皆の前では、どんなことがあっても泣かない。涙を見せない。泣くときは、人目のつかない所で、こっそりと泣く。辛い姿をあまり周りには見せない」と決めていました。


■検査のたびに再発・転移を心配しておびえる日々・・・


毎日が充実していて楽しい日々が奪われ、手術・検査・治療と辛い入院生活が始まり、次第に、「笑いを失ってしまった子。笑わない、泣かない感情を表に出さなくなり、告知前のキラキラと輝いていた姿が失われ、病気によって人を変えてしまった」と言われ始めました。
「本人に告知をしたことは正しかったのか、告知するべきではなかったのでは・・・」と主治医の先生をはじめ両親も悩んでいたようです。私自身、現実を整理し、病気を受け入れることがなかなかできなく、戸惑いの日々。しかし受け入れていなくても、進んでいく検査、治療に一生懸命こなしていくことで精一杯でした。
 告知からしばらくは、目の前に死がちらつき、「死ぬことが恐い。お願いだから私を助けて。どんな辛い手術も治療もするから、とにかく助けて!!生きたい。生き延びたい」。その言葉が、頭のなかをグルグルと回っていました。
治療が終了し経過観察になってからも、検査のたびに、再発、転移を心配しておびえる日々。このことを、口にすることも恐く、誰にも言えず、悩み精神的に不安定になり沈んでいました。当時は、今のようにインターネットは普及していなかったことと、悪性黒色腫は10万人に1人と確率も低く、予後も悪いことから、同病者と接することは一度もありませんでした。10代のがん患者、悪性黒色腫の患者、どちらも接することがなく、どこにも気持ちを吐き出せる場所がなかったので、孤立感も強かったです。

■たくさんの人たちのサポートを受けて・・・

「受験生だが、そんなことより、まずは治療。高校も多分、留年になるから、受験は諦めなさい」と言われ、友人たちの、「受験校どうしよう。目指している学校に行くためには、もっと勉強して成績を上げないと・・・」ごくごく普通の受験生の会話でしたが、私はそれを聞くことも辛かったのです。「病気になる前の生活に戻りたい。私、悪かったところ直すから、充実していて楽しかった、あの頃に戻して!」という思いが強かったのと、どうしても友人と比べてしまい、孤立感を強くし、病気を受け入れることが、なかなかできなかった要因になっていたように思います。
 臨床心理士さんや、現在、通院している小児科の医師、精神腫瘍科・緩和医療科の医師の力を借りながら、最近、徐々に病気のことを整理し受け入れるところまできました。もう小児科の年齢ではありませんが、先生の善意で診てもらっています。先生たちの力を借りながら、少しずつ自分の力で病気を受け入れ、前に進んでいこうと思っていますが、私にはもう一つ皆さんに報告しなければならないことがあります。
実は、私は、この後、乳がんにも侵されるのです。このことについては、次回にしましょう。

 

週刊がん もっといい日  2006年Vol.30  10月20日更新

悪性黒色腫、そして乳がんに侵された
のんたんさん(23歳)からのレポート

「私はもう一人ではない」

その2 『乳がんのこと』

■告知は22歳11か月、手術23歳1か月で・・・

乳がん告知は、22歳11か月のことでした。そして手術は、23歳1か月です。
右乳がんは、乳房内の腫瘍を自分で見つけ、最初は、悪性黒色腫の再発か転移だと思い、定期的に診てもらっている皮膚科を受診。エコーの検査をしてから皮膚科の先生に「乳腺外科の専門の先生に診てもらったほうが安心だと思います」と言われ、乳腺外科を受診しました。
「マンモグラフィーの画像、エコーの画像、年齢から、今、若い人に多い乳腺症でしょう。まず悪性ということは、考えにくい。しかし悪性黒色腫の病歴があり、現在、経過観察になっているから、生検して、はっきりしたほうが精神的には良いんじゃない?良性だろうけど、このままだと不安でしょ?」乳腺外科の先生から軽く言われ、私も不安だったので生検をしていただきました。初診のときに、先生から軽く言われていたので、「やっぱり良性で、乳腺症でした」って言われ、安心して帰宅することしか考えていませんでした。しかし診察室に入ったとき、初診時の先生の軽い態度と違うことを感じ、嫌な予感がしました。先生から、「悪性黒色腫の再発、転移ではありませんでした」という言葉に、ホッとした瞬間、「乳がんでした。新規のがんを発病し、二重がんです。どうやら、多重がんの体質のようです」と言われ、頭のなかは真っ白に・・・。「えっ!?新規のがん?どういうこと?」
私の頭のなかは、それこそパニック。家に帰り、自分の部屋で、一人でワンワン泣きました。

■「嘘でしょ。何かの間違いではないの」

「乳がんは、年配の人が発病するがんで、22歳でなるの? 嘘でしょ。何かの間違いではないの」
私は、そう否認し、受け入れられないまま、一か月後に手術。乳房の半分に、がんは広がり温存不可能。手術中にリンパ転移がわかり、乳房全摘出とリンパ切除手術を受けました。手術当日まで、「これで、手術回数7回目。手術の回数だけが、どんどん増えていく。いったい何回手術すればいいの?」と増えていく手術回数に目がいったのと、「手術して、がんをすべて取り除けば助かるのなら手術をする」と、生きるためには何をしたらいいのか考え、乳房を失うという現実を実感していませんでした。手術後、ガーゼが外れ、傷口を見た私は、号泣。そこから、乳房を失った悲しみが、想像より遥かに大きく、苦しみました。「がんのなかで、唯一、自分で触れられる乳がんに、なぜもっと早くに気付くことができなかったのだろうか」と自分を責めてしまいます。
手術後すぐに、抗がん剤治療に入りました。悪性黒色腫で抗がん剤治療は経験していますが、私は運が良かったのか絶対に抜けると言われていた髪の毛が抜けませんでした。だから、「今回も髪の毛抜けないだろう」と心の中で思っていました。それが脱毛の時期にごっそりと抜けた自分の髪の毛を見て、初めての経験でショックを受けました。乳房を失った悲しみ、髪の毛が抜け坊主頭になった自分姿、容赦なく襲ってくる副作用に、私は、精神的に落込んで泣いている日々が続きました。悪性黒色腫と大きく違うことは、インターネットや病院で、同病者と話す機会があるということ。副作用、傷口のこと、経験者から色々アドバイスをもらい、経験者ではないと語れないことをたくさん聞くことにより、孤独感を抱くことはあまりありませんでした。


■たくさんの方たちの励ましに感謝する日々です

何気なく過ぎていく日々が、どんなに幸せなことか、それができなくなってから、私は、何気ない小さなことに幸せを感じるようになりました。そして、私は「一人ではない」たくさんの医療関係者、友人、同病者に支えられ、治療をしているこの環境に、感謝の気持ちでいっぱいです。
自宅で、私が、昼・夜関係なく、不安になり恐くなったとき、「私が話を聞くことで少しでも楽になるのならいくらでも話し聞くよ」とおっしゃっていただいたり、仕事ではなく個人的にメールや電話で話を聞いていただき、心配事でいっぱいの私の心を癒していただける、看護師さん、臨床心理士さん、そのほか医療関係者の皆さん、本当にありがとうございます。
病院では、小児科、精神腫瘍科、緩和医療科のお医者さまの力を借りながら、治療に望み、私は、こんなに恵まれた環境で治療を受けられ、どんなに精神面で救われているかわかりません。助けていただいている医療関係者の皆さんに、何度感謝してもしきれないくらいです。
 現在、私は抗がん剤治療中で、目の前の治療をこなしていくことに精一杯で、外出も病院か、たまに友人と会ったり、患者会に参加することぐらいなので、ボディーイメージが変わってしまった自分をしっかりと受け入れられていません。治療終了後から、普通の生活に戻ったとき、服装などお洒落によって片方の乳房がないことに目が向いたり、(1)悪性黒色腫の再発、転移をいていないか(2)乳がんの再発、転移をしていないか(3)新規にがんを発病していないか。この三つを、検査のたびに見ていかなければならないこと、そして病気や多重がんという体質をしっかり受け入れることによって、私の新たな戦いが始まると思います。
今は治療を頑張り、治療終了後は現実から目をそらしてばかりいないで、自分のペースで病気を受け入れていこうと思っています。

 

週刊がん もっといい日  2006年Vol.31  10月27日更新 

悪性黒色腫、そして乳がんに侵された
のんたんさん(23歳)からのレポート

「私はもう一人ではない」

その3 『若年性がん患者の立場から』


■若いがん患者の就職問題について

 若い人のがんは、若い人なりの悩みがあります。まずは、就職の問題です。就職試験で、病気のことがわかると、不採用になることが多いのです。面接試験で、病気のことを聞かれて話すと、その時点で不採用になり、面接官の態度が急に変わることもあり、傷つくことがたくさんあります。
 正社員、準社員に関しての雇用問題ですが、病院通院のために欠勤する人がいると、労働組合がある会社では組合側から指摘されるケースがあるそうです。「正社員、準社員は仕事を任せられるが、もしも再発すると、こんなに働かせたから再発したんだと言われかねない。だからといって、特別扱いはできない」一方、バイト、パートの雇用に関しては、自己責任です。何か起きても、すべて自己管理ができなかった自分の責任になり、会社の問題になりません。「バイト、パートは、病院通院の休みも取りやすく、病気があるんだから、今時の若者でフリーターしていたほうがいいんじゃない・・・」面接試験で、このように言われることも多々あります。そんな雇用上の問題もあり、なかなか就職の内定がもらえないのが現状です。
若年性がん患者の多くは、学生や、就職してまもなくに発病しています。ですから就職は、新卒または新卒に近い状態です。新卒で、がん患者となると、まったくの狭き門です。「病気をしたからこそ、病気を経験したからこそ、私(僕)は、この仕事をしたい」と夢を持ち、なかには休学、留年しながらも、治療と勉強を頑張り卒業した方もいます。
雇用問題もわかりますが、働きたいという意欲より、病気という消せない過去ばかり見られて、不採用になることに、多くのがん患者や若年性の疾患を持っている患者は悩んでいます。何も悪いことをしていないのに、なりたくて病気になったわけではありません。もっと社会の温かい目と理解をして欲しいと思います。

■若いがん患者の恋愛、結婚の問題について

 
次は恋愛、結婚の問題です。手術、治療により、男女ともに子供の作れない体になってしまった人は、多くいます。恋愛に対して、どの時点で相手に自分の病のことを伝えるか、伝えたことによって、相手は自分のもとを去っていくのではないかと不安で、臆病になっています。   
もちろん病気のこと知って去っていく人もいますし、それでも、良いと言ってくれる人もいて、いろいろです。去っていった人は、私の中身より、外見しか見ていないのだろうとも思います。それでも、やはり大・小関係なく傷つきます。
手術、治療により子供が作れない体の人にとって、虐待や中絶の話は腹が立ちます。「言うこと聞かなかったから虐待した」「欲しく無かったけど、できちゃったから中絶する」なんて、言語道断。人の命を軽く見すぎです。「生きたくても生きられない人、子供が欲しくてもできない人がいるのよ! その人の気持ちを考えて欲しい」と思うこともあります。
子育て中の世代は、旦那さんや子供のことを考えますし、子育てが終わった世代は、老後のことを考え、「こんなに早くから子供に世話になって申しわけない」とか、自分や旦那さんの親の介護と自分の病気の両立など、世代によって悩みは違ってきます。


「若年性がん患者」の存在を知って欲しい

 若年性がん患者は、10代〜30代と若いので、学校、仕事、恋愛、結婚、お洒落に、とても敏感で複雑な年齢です。
最近、「若年性がん患者」という言葉が使われ始め、医療関係者のなかから広まりつつありますが、まだまだ社会的には、関心がなければ知らない言葉です。少しでも多くの人に、「若年性がん患者」の存在を知って欲しいと思います。
 3回にわたり、私の体験を紹介させていただきましたが、がん患者になってから、私の生き方は変わりました。今、こうして自分自身のがん闘病記をつづりながら、がんになってわかった、いろいろな事柄、たくさんの人々との交流、お世話になったお医者さま、看護師さん等々・・・。私は、とても感謝しております。
これで私の闘病記を終えますが、私の物語はまだまだ続きます。今度は、私のホームページ(のんたんの部屋)を見てくださいね。では・・・。(終わり)