私のターニングポイント

 

悪性黒色腫(メラノーマ)病名確定からは、まだ、六年半。

しかし、最初の騒動は平成8年8月下旬(確か、手術日が8月27日とかそのくらい。)夏休みの最後に駆け込みで、検査のため手術することに決定。

現在、平成18年8月下旬。まる10年経過!!

当時の私は13歳、中学2年生。手術の同意書等は親が書き、私は、手術のことなど、詳しくは聞いていなかった。何をされるのかわからず、手術に臨んだ。

 

≪手術のこと≫

 

局所麻酔(外来手術)  手術室前にして

 

看護師   「看護婦さんとこっちのお部屋に一緒に行こうか」

私      「うん」

看護師   「ここは、綺麗なお部屋だから、このスリッパに履き替えて、この帽子かぶって、この服に着替えようか」

私      「うん」

看護師   「もう少し奥の部屋に行こうか」

私      「恐いよ。帰りたい。」

看護師   「看護婦さん、ずっとそばに居るから恐くないよ。指切りしようか」

私      「指きりげんまん・・・。指切りしたから恐くなくなった」

看護師   「ここのベッドで目を閉じて寝ようか」

私      「眠くないけど、目を閉じてたら、眠くなるかな??」

看護師   「目を閉じてたら眠くなるよ。おやすみ」

 

手術が始まり、機械音などで、恐くなってきた私に、看護師さんは、声をかけてくれていた。

 

私      「恐いよ」

看護師   「目を閉じて寝ていれば、すぐ終わるから大丈夫。恐くないよ」

私      「うん」

看護師   「指きりげんまんしたし、頑張ろうね」

私      「指切りしたから、頑張る」

 

そして手術が終わり、帰るときに

 

看護師   「起きてベッドから降りようか」

目の前に、山のように、血で染まったガーゼが無造作に置かれていた。それを目にした私は。

私      「これ、私の血?」 「ビックリした」 「恐い」 「気持ち悪い」

そばに居てくれた看護師さんではなく、別の看護師さんがサッとガーゼを持っていった。

看護師   「ごめんね。ビックリさせちゃったね。」

        「恐いもの見せちゃってごめんね。看護婦さんが悪かったね」

私      「黙ったまま、“うん”とうなずいた」

私の肩・背中をさすってくれた。が恐くてガタガタ震えて、その場に立ち尽くしてしまった。

  衝撃的で、足がガクガクに震えてしまって一人では歩けず、看護師さんに支えられながら、部屋を出て、別室に行った。

看護師   「ここの部屋で着てきた服に着替えようか」

私      貧血を起こしていたし、手・足が震えてしまって着替えられなかった。

       看護師さんに手伝ってもらい何とか着替えた。

看護師   「頑張ったね。偉かったよ。」 バイバイと手を振ってくれた。

私      看護師さんに「そばに居てくれて、ありがとう」「バイバイ」と震えていて、ぎこちなく手を振った。

 

父・母    「顔、真っ白で血の気ないみたいだけど大丈夫?」 「手も冷たいし、震えているけど、寒くない?」

私      「寒い」  恐くて、それ以上何も口にできなかった。

 

≪検査結果のこと≫

 

診察室で検査結果の説明があった。「良性・悪性」という言葉が診察室の中では飛び交っていた。

13歳の私には “良性”  “悪性” の言葉の意味がわからず、「わからない言葉いっぱいだな。」って思っていた。

「病院内の病理では結果が出ず、大学の研究施設に持っていき検査しています」

この言葉に親は動揺していて、結果が出るまでは、不安な日々を過ごしていたが、私は、この言葉の意味していることがわからず、毎日学校に行き、放課後、部活をして帰り、何気ない日常生活を送っていた。

結果は、「良性・悪性というはっきりした結果が出なかったが、悪性ではなさそうだ」という中途半端な結論で、経過観察になった。

 

 

≪今思うこと≫

 

「良性・悪性」の言葉の意味、「病院内の病理では結果が出ず、大学の研究施設に持っていき検査しています」から自分の置かれている状況が、まだ子供だった私には理解できていなかった為、夏休み最後で駆け込み手術だったから、抜糸は夏休み明け。「皆勤賞狙ってたのに、病院に行って遅刻したから、貰えなくなっちゃった。」そんな思いと、恐い記憶が残った経験だった。

今、同じことが起きたら、きっと診察室の中で、動揺し、検査結果が出るまでは、不安・恐い日々を送っていたと思う。知らないこと、理解していないことが幸いしていたのだと思う。

大きな病気1つしたことが無く手術とは無縁だった私。初めての手術が意識のある中で、今から何をされるのか(何をするのか)、わからない。それだけに、とても恐い経験として、私の頭の中から記憶が消されない。今でも、はっきり手術室の中でのこと、手術日に病院に着ていった服装、検査結果を聞いた時の診察室の中の雰囲気を覚えている。現在の私は「手術・検査・処置・検査結果」この言葉に敏感に反応してしまい、不安や恐さから過去吸を起こしてしまったり、動揺してしまう。乗り越えていかないといけない過去。恐すぎて、この事は口にしたことが無い。当時のことを、思い出すと苦しく恐くて、文章化・言語化することができなかった。10年という1つの節目を迎えて、これをきっかけに、ここで書いたのが初めて。文章化するのがやっとで、当時のことを言語化し誰かに話すことは、まだできない。周りは、「13歳の子供だから、ここまで記憶が残っていることは無いだろう。その後は経過観察で悪性黒色腫とい病名が付くまで期間が空いているし。」そんな思いが強く、私が苦しんでいることに気が付いていない。

13歳の私は、恐いと言いながらも、過去吸を起こさず最後まで手術を終え、精神的に強かったように思えるが、きっと、何も理解できていなく言われるままに身を任せていた。現在は、しっかり説明を受け、必要なこと・大切なことだとわかっているが、最初の手術の恐い経験が、私の中で、乗り越えられていないから、すぐに過去吸を起こしてしまうのだろう。

1つの問題を解決する前に、次の問題が起き、その場を乗り切ることだけに精一杯の私には、最初の手術の問題を乗り越えるまでにはもっと時間がかかりそうだ。

10年前は、10年後の私は癌と闘っているなんて思いもしなかった。“癌”という言葉・病気も知らなかった。

大変な10年だったが、今言えることは、『今、私は、生きている!!』ということだ。

13歳の私が、23歳の私に命のバトンを手渡し受け取った。今度は受け取った命のバトンを、23歳の私が、33歳の私に途中で落とすことなくしっかり命のバトンを手渡す。私の人生はリレーだ!!この先、どんなことが、待ち受けているかわからないが、『生きたい。死にたくない。生き延びたい。』だから、どんなことがあっても、私は頑張る。病気には負けない。10年後も、ここのHPで「20年迎えたぞ〜」って書くんだ!!

これが、私の1つのターニングポイントになった。