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なには無くとも  

                                   ☆ /2 / 3 /4 /5 /6 /7 / 


                                                                                                       

     
 他人との違いや差とひと口にいっても、いろいろとある。

 

 性別の違い、年齢や職業の違い、身分の差、手当の差、容姿の美醜に頭の良し悪しなどなど……

 

 天と地ほどの落差があっても、『どうでもいいや』と開き直れる類の差もあれば、他人からみれば微々たる差でしかないのに、本人だけが気に病んでしまうという類の違いというものもある。 

 

 

 昭和16年の秋、桑原奈津は、まさこの差のせいでひどく落ち込んでいた。

 事の発端は、篠塚多聞の縁談である。

 

「多聞さんが、お嫁さんを貰うの?」
「そうらしいのよ。 しかも、大臣かなにかの親戚のお嬢さまだとかなんとかなのですって。 銀座でね、ふたりでいるところを見た人がいるそうなのよ」

 井戸端で仕入れてきたらしい噂話に、母は興奮しきっていた。 学校から戻ってきたばかりの奈津に荷物を置く暇さえ与えぬまま玉杓子を振り回しながら母が語ってくれたところによると、そのお嬢さまは、家柄も容姿も飛びぬけた才媛で、海外での生活経験もあるという。

 

「そんなすごい人とねえ。 さすが、多聞さんだけのことはあるわよねえ」
「そんな恨めしげな顔をされても、困るんですけど」
 しきりに感心している母に、奈津よりも少し遅れて戻ってきた兄が苦笑を向ける。 

 

 多聞は兄の幼馴染みだ。 彼らよりも6歳年下の奈津が物心つくかつかないかの頃から、彼は、この家に頻繁に出入りしていた。 小さい頃の奈津は、実の兄以上に多聞に懐いていた。 多聞は、兄のように奈津のおやつを横取りしたりしないし、気に入らないことがあっても彼女を殴ったりしなかったからだ。 お祭りや花火の時に、奈津の手を引いてくれたのも多聞だった。 奈津が苛められた時には、兄と一緒にガキ大将に報復してもくれもした。 友達と喧嘩をして悲しかった時に、仲直りのための助言をくれたのも、多聞だった。 

 

 多聞との関係が変わったのは、彼が彼女の兄と一緒に高校の寮に入るために家を出た頃からだろうか。 高校といっても、入学と同時に帝大への進学が約束されていた時代の高校であるからして、「あいつは、特別ですよ」と現在苦笑いしている兄とて、奈津の母にしてみれば鼻高々の自慢の息子なのだ。 だが、あの頃から、兄は多聞との能力の差というか、彼の勉学への入れ込みようが自分とは異なっていると感じ始めたようだ。 そして、兄が幼馴染みとの歴然とした差を感じ始めた頃から、奈津は奈津で多聞との距離が開いていくのを感じていた。 しかも、その距離は、年々倍速で大きくなっていくようだった、 


 今の兄は、多聞とは畑違いの工学系に進むことで自分の自尊心を守り彼との友情を継続することに成功したようだが、奈津には、そのような逃げ道はない。 多聞が国費で留学することになったとか、外務省だか海軍だかの特殊機関からの引き合いがあったとかいう話を我がことのように喜んでいるうちに限りなく開いてしまったふたりの距離に、今となっては、ただただ茫然とするばかりである。

 

 だから、少し前から奈津も覚悟していたのだ。 
 いつの間にか生まれていた多聞への恋心が報われる日は、永遠にこない。
 
 どんどん出世していく多聞は、いつか彼の立場に相応しい美しくて賢い女性と恋をし、その人と結婚するだろう。 そうしたら、奈津のことなど忘れてしまうのだろう。 自分の未来と多聞の未来は繋がらない。 
 彼との別れが(といっても奈津の一方的な片想いだが)訪れることは、とうに覚悟している。 時期が少しばかり早かったような気がしないでもないが、ウジウジするのも、ましてや見たこともない女性に嫉妬の炎を燃やすのも奈津の好むところではない。 

 

 かくなる上は、ちゃんと多聞を祝福しようと、奈津は決めた。 

 

 だが、多聞に会った時に笑顔で『おめでとう』と言うために、奈津が夜中にこっそりと練習を始めたその晩、話が急展開した。 


 


 


「篠塚の息子との縁組を決めてきた」
 その晩。 日付が変わる頃に酔っ払って帰ってきた奈津の父が、上機嫌で家族に告げた。
 
 祝言は一か月後だという。 結納は省略。 形ばかりの仲人は、多聞の恩師に引き受けてもらう予定だという。 この言葉に、奈津以上に驚いたのは母だった。

「多聞さんとの縁談を、あなたが決めてきたということですか? でも、どうして、あなたが決められるんです?」
「そりゃあ、おまえ。 多聞くんが、うちの奈津を嫁に欲しがっているからだろう」
「でも、お嬢さまとの縁談はどうなったのです?」
「お嬢さま? うちの奈津だって、立派なお嬢さまだ。 なあ、な〜つ?」
 ムッとした父の顔が、奈津に向けられた途端に、へろりと笑顔に変わる。 
「よかったなあ。 おまえは、ずっと多聞君のことを好いていたものな。 あれは、いい男だそ。 奈津の良いところをたんと知ってくれている」
 幼い子にするように奈津の頭を撫でながら、『よかったなあ』『よかったなあ』を繰り返しているうちに、父は眠りについた。 

 

 いつもは厳格な父親が実は子煩悩で娘のことを大そう気にしてくれていたことは、奈津にとって意外でもあり嬉しかった。 とはいえ、例の多聞と『お嬢さま』との縁談の噂の真相は謎のままである。 翌朝、酔いの醒めた父に訊いても、「ああ、そんな話もあったようだな」とはぐらかすばかり。 しまいには、「余計な詮索はするな」と、母娘まとめて怒られた。 


 しかしながら、気になるものは気になるのである。  奈津はもちろん、奈津の母だって気になってしょうがない。 そして、彼女と多聞の母は、同じ町内の主婦同士。 いまさら遠慮し合うような仲でもない。 

「突然こんな話になって、ごめんなさいね」
 縁組決定の挨拶がてら奈津を連れた母が篠崎家を訪ねると、出迎えてくれた多聞の母は、恐縮しきっていた。 こちらから切り出す前に彼女が打ち明けてくれた話では、多聞と『お嬢さま』との縁談は、本当にあったという。

 

「あちらの方がとても積極的でね」
 どれぐらい積極的だったかといえば、お嬢さまの父親にあたる人物が、多聞に承知させるために彼の上司に圧力をかけるほどであったそうだ。
「でも、多聞は、どうしても奈津ちゃんがいいんですって」
 戸惑い顔の奈津に多聞の母親が微笑みかける。 「だから、奈津っちゃんの許可をもらう前に、『自分には桑原奈津という大切な婚約者がいます』って言ってしまったらしいのよ」

 

 多聞がそこまで言っても、むこうは諦めなかったそうだ。 口約束程度の婚約ならば反故にしてしまえばいいと、彼に迫ったらしい。 困り果てた多聞は、帰宅するなり自分の父親に相談し、息子の本気を知った父親は、栄達のために欲しくもない嫁をもらうことを是としない息子の心意気に感じ入り、応援することにしたそうだ。 だが、ここで問題になってくるのは、奈津の気持ちである。 それまで黙って男たちの話を聞いていた多聞の母から、「ところで、あなたと奈津ちゃんとは、なにか約束でもしているの?」と問われた途端に、不甲斐ない息子は押し黙ってしまったという。

 

 そういうことならば、まずは、奈津から結婚の了承を得なければならない。 そして、当時の婚姻であるからして、奈津の気持ちを確認することは、すなわち、彼女の家の家長の意向を確認することであった。 本来ならば仲人を立てたほうがよろしいのだが、切羽詰まった事情もある。 多聞と父親は身なりを整えると、すぐさま奈津の家に出向くことにした。 だが、彼ら家を出たちょうどその時に、帰宅途中の奈津の父親が彼らの家の前を通りがかった。

 

「それで、とりあえず、うちにお招きして、あれよあれよという間に話が決まってしまったということなの。 急なことで、本当にごめんなさいね」
「でも、初音さんは、それでよろしかったの?」
 何度も謝る彼女に、恐る恐る母がたずねた。 だが、彼女は、お嬢さまとの縁談に全く未練に感じていないようだった。

「お嫁さんが偉すぎて、姑が嬉しいことってあるのかしら」
 さばさばした顔で多聞の母が笑う。 「それに、そのお家が偉いのは、ご維新の時に討幕に加担したからだっていうじゃないですか。 そんな家の娘、私は御免です。 その点、奈津ちゃんのお家は、うちと同じで旗本の出だし、気心も知れているもの」

 彼女の言葉には、それなりに説得力があった。 しかしながら、進んだ考えの持ち主である多聞が、そんな時代錯誤な理由で縁談を断ったとも思えない。  『奈津が良い』という彼の言葉も、彼女は、どうしても信じられなかった。 きっと何かの間違いだ。 何を好き好んで多聞は、取り柄もなければ十人並みの容姿しか持ち合わせていない自分を選ぶのか? なにか他に理由があるのではないか? その理由をはっきりさせておかないと、奈津としても気持ちよく彼に嫁げないような気がした。 

 

(祝言の前に、どうにかして多聞さんに会わないと)
 そう思いつめた奈津は、彼を待ち伏せすることにした。 しだいに赤みを増していく空の端をぼんやりと眺めながら、「そういえば、昔の自分も、よくこんなことをしてた」と思い出す。 小さい時の奈津は、しばしば夕餉の支度をする匂いを嗅ぎながら、兄と多聞が遊びから戻ってくるのを待っていた。 それから、遠くの学校に行ってしまった兄たちが長い休みに入る日も、多聞が留学先から帰ってきた日も、今のように彼の帰りを待っていた。  戻ってきた彼に最初に「おかえりなさい」を言いたくて、「ただいま」という彼の笑顔が見たくて、あの頃の奈津も、ちょうど今のように、自分の家の前から多聞の家の見える曲がり角までを行ったり来たりしていた。


 だが、今日の多聞は、待っても待っても帰ってこない。 「いい加減にしなさい」と母に叱られて、奈津はしぶしぶ家に入った。 次の日も、奈津は多聞を待っていたが、その日も彼は帰ってこなかった。 彼の母親によると、ここのところ、彼の帰りは深夜に及んでるという。 待ちくたびれた奈津は、彼を待っている間に、彼が奈津との結婚を望むもっともらしい理由をふたつほど思いついた。

 

「そうよ、お嬢さまって人が、嫌な人だったのよ。 でなければ、婿に入れと言われたとか」
 だから、多聞は、奈津を彼女との結婚を回避するための逃げ道にしたのかもしれない。 そうだそうだ、そうに決まっている。 ……と、ひとまず納得した奈津であったが、お嬢さまの名誉のために付け足せば、彼女はたいそう好い方で、多聞と会えぬままに迎えた祝言の日に合わせて彼女から届けられた祝いの品には、新婚夫婦を寿ぐ温かな言葉が添えられていた。

 

「好い人ではないですか。 それなのに、どうして、あの方との縁談をお断りしたの?」
 祝いの席から一足先に抜け出し、ふたりきりになった気恥ずかしさから、奈津は、よせばいいのに多聞を問い詰めた。 


「なんで……って」
「あの方が嫌で、私をお嫁さんにしたのでしょう?」
「そんな話になっているのか?」
 驚いたように目を見開いた多聞に、「それとも、お婿さんとして望まれたの?」と、奈津が問いを重ねる。
「いいや」
 あちらには、ちゃんとした跡継ぎがいるそうだ。

「じゃあ、どうして?」
「だから、あの人よりも奈津がよかったんだ」
「うそ」
 信じられない。 
「信じろ。 でも、そうだな、理由といえば……」
 多聞は腕を組むと「う〜ん」と言いながら天井を仰いだ。 

 

「俺は、奈津のそういう、おかしいと思ったことを確かめずにはいられない性格が好きだな」
「なによ、それ?」
「俺にとっては、それだけは外せないと思うほど大事なことなんだよ。 それとな。 奈津が待っていてくれるなら、いつまでも、なにがあっても帰ろうという気持ちでいられるかな……とも思った」
「はい?」
「五日後から、しばらく留守にする」
 キョトンとしている奈津に、おもむろに多聞が言う。
「お仕事ですか。 どこへ? どれぐらい?」
「どれぐらい行ってることになるのか、現時点では予想がつかない。 行先は、言ってはいけないことになっている」
 五日後からの彼の任務は、国家の機密に関係することであるらしい。 誰かに聞かれたら、『夫は上海に行っている』と答えておけばよいと彼が言う。 

 

「ということは、上海ではないの?」
「さあな」
 多聞がはぐらかす。
「つまり、俺の仕事は、何時何処でどうしているかを家族にも言えないようなことが多い。 それに、最近は我が国を取り巻く状況が……その……すこぶる不安定だ」
 命を奪われる危険もあると多聞は言う。 
「いつ死ぬかわからんという状況で、出世やら栄達やらを気にして結婚なんぞしていられるか。 だから、俺は、俺が好きな女と、俺を好きでいてくれる女と結婚すると決めた。 それだけのことだ」
「多聞さんを好きでいてくれる女?」
「違うのか? 俺が自惚れていただけだろうか?」
 息をのむ奈津に、自信なさそうに多聞が問いかける。 
「ううん!」
 奈津はブンブンと首を振った。 「私、ずっとずっと多聞さんが好きだった。 ずっと多聞さんのお嫁さんになりたいと思っていたの。 だから死ぬかもしれないなんて縁起でもないことを言わないで! 絶対に絶対に帰ってきて!」


「ほらな。 俺の選択は間違ってなかっただろ?」
 半泣きになっている奈津を、多聞が笑いながら引き寄せる。 初めて唇を合わせ、そして誓う。 

「大丈夫、奈津が待っていてくれるから俺は帰ってくる。 それに俺は…… いや、この家の当主は、どうしても死ぬわけにはいかない事情があるんだ」


 

                                               


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