うっちゃんちワンコ

 

●「メイちゃんからの手紙」 香椎うっちゃんブログ 2016/10/3

「わ〜い ハワイだ!」  右から、サーブ君、メイちゃん、ノンちゃん・・・・夢でした。

 

「わ〜い スイスだ!」  これも・・・・夢でした。            (合成写真)

香椎うっちゃんのブログ 三匹の海外旅行

     サーブ君

 ノンちゃん、メイちゃん&サーブ君

   「疲れた〜」

      ノンちゃん&メイちゃん

  ノンちゃん  「何見てんのヨ」

  「おやつの時間、美味しそうだネ」

メイちゃん 「私の娘は可愛いでしょう」

   「長谷ダムは気持ちいいなあ」

 

サーブのこと・・・・・・・・・サーブと初めて会ったのは、平成7年(1995)4月2日(日)。西区保険所のペットの里親探し会場だった。何十匹もいる子犬の中を歩いていたら、一瞬目が合ってしまった。他の子犬の方へも回って再び戻って来ると、またうっちゃんと目が合った。思わず抱き上げた瞬間に、我が家の家族になってしまった。息子が読んでいた本「盲導犬サーブ」から名前は「サーブ」と決まった。雑種だが賢くて優しい性格の男の子で、近所の人達からも可愛がられた。4年後、シーズーのメイちゃんが家族の仲間入り。メイちゃんは3年後に同じ町のフク君とお見合い。そしてノンちゃんが産まれた。サーブはメイちゃんとノンちゃんを妹のように可愛がって遊んであげていた。息子とは小学6年から、中学・高校・大学と生活を共にし、社会人として就職したのを見届けて、平成20年(2008)9月23日旅立った。13歳と9ヶ月。今でも、メイちゃんとノンちゃんに「サーブはどこ?」と聞くと、まわりをキョロキョロ探している。

 

サーブが死んだ日・・・・・・平成20年9月23日は秋分の日で祝日。息子が勤務地の北九州市から遊びに来ていたが、午後3時半頃に「そろそろ帰る」と言うので女房と香椎駅まで送ることになった。駐車場にいたサーブに、息子が「サーブ、また来るよ。元気でね。」と声をかけた。眼がほとんど見えなくなっていたサーブは、声の方を向いてシッポを振っていた。香椎駅に息子を送って、戻ってくるとサーブが駐車場で倒れていた。

(居間に置いてあるサーブの遺影)

 

お腹が動いていたので生きているのは分かったが、眼は閉じていて口からブクブク泡がでていた。口に水を含ませて、サーブ、サーブと呼びかけたが、お腹がケイレンしていて苦しそうだった。うっちゃんは直ぐに決断した。車で近くのペット病院に運んで、安楽死を頼んだ。治療台の上に横たわっているサーブの手を握ってあげた。女房は頭を撫でていた。先生が言った、「始めます。宜しいですか」。注射器から薬が流れ始めた。7、8秒もするとお腹のケイレンが徐々に小さくなっていって、そして動かなくなった。先生が小さな声で「ご臨終です」と告げてくれた。涙が溢れてきた。「サーブ、もう大丈夫だよ。苦しくないだろう」。

次の日、うっちゃんは出勤。女房が区役所で聞いたペットの焼き場に連れて行った。話しを聞くと、生ゴミと一緒に焼かれるという。女房は「そんなのイヤだ」とのことで、家にもう一度連れて帰り、ペット専門の葬儀屋を探し出して連れていった。きちんと内容を確認して、費用はかかったがそこでお願いした。前の晩に用意した「メイちゃんやノンちゃんも一緒に撮った家族全員の写真」と、途中でお腹が空いたらいけないので大好きな「ビーフジャーキー」を持たせてやった。

あの日、サーブは自分の最後が近いことを分かっていたのではないだろうか。見えない眼で息子の声の方を向いてシッポを振っていたのは、「小さい時から遊んでくれてありがとう。さようなら、元気でね。」と言っていたのだと思う。うっちゃんは今でも後悔していることがある。当日の朝は、いつものように3匹を連れて散歩に出た。サーブは足腰も弱くなっていたので、いつも最後をゆっくり歩いていた。あの朝はサーブが何度も立ち止まり動かなくなったので、「サーブ、遅くなるじゃないか、しっかり歩きなさい」と叱って、リードを強く引っ張ってしまった。「ごめんね、サーブ。力を出して懸命に歩こうとしていたんだよね。叱ってごめんね。サーブ、本当に許してね」。

居間のサイドボードにはサーブの遺影(上記写真)が置いてある。女房が枠に貝殻を付けてあげた。サーブと志賀島に遊びに行った時、砂浜で集めた思い出の貝殻。写真の後面にはサーブのシッポの毛が納められている。いつの日かクローン技術が進歩し、「ジュラシックパーク」の恐竜のようにシッポのDNAで同じサーブを産み出してくれるかもしれない。出来ることなら、我が家に来た頃の子犬のサーブをもう一度抱きしめてあげたい。

 

 

 うっちゃんの部屋

香椎浪漫