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 香椎宮と言えば仲哀天皇と神功皇后のご夫婦、そして息子の応神天皇ですが、武内宿禰(たけうちのすくね)をご存じですか?知らない方も割と多いようです。武内宿禰は両陛下にお仕えし、仲哀天皇崩御の後は神功皇后を助けて、朝鮮進出を成功させた人物です。

古事記、日本書紀にも登場し、大和朝廷初期の国政を大臣として補佐したと言われています。香椎を中心に福岡県各地に神功皇后と共に彼の足跡が言い伝えとして残っています。明治時代、神功皇后の肖像が紙幣や切手に採用されていますが、武内宿禰の肖像も壱圓券で見ることが出来ます。神功皇后紙幣の原板はイタリアの技師が作ったため、皇后のお顔が西洋風になってしまいました。

               神功皇后紙幣                 武内宿禰紙幣

 

 

 神社の中にある小さな神社を摂社(せっしゃ)又は末社(まっしゃ)と言います。本社の祭神と関係が深い神が祀られている小さな神社が摂社で、それ以外は末社です。香椎宮中門の手前から左手に上った所に「武内神社」があります。勿論、摂社ですね。

武内宿禰には九人の子供がいます。香椎宮には彼の子供たちを祀った末社が境内、境外に幾つかあります。武内宿禰の長男である羽田八代宿禰(はたのやしろのすくね)は朽瀬(くちとせ)神社に祀られています。参道を上ってきて、貞明皇后行啓記念碑の手前に建っている祠です。香椎宮から数分離れた住宅の中に印鑰(いんやく)神社があります。ここには三男の蘇我石川宿禰(そがいしかわのすくね)が祀られていて、彼は後の政治の舞台に登場する「蘇我氏」の始祖だと言われています。香椎石川家の始祖です。

         武内神社                      朽瀬神社

 

 

 

16世紀後半ごろの子孫のひとり、武内平十郎は香椎宮の大宮司を務めたあと神屋五右衛門と改名し、博多の商人となりました。そして商売繁盛で有名な千代町の「十日恵比寿神社」を興します。

日本書紀には武内宿禰は5人の天皇に仕えて、300歳まで生きたと記されています。自宅横の「不老水」を毎日飲んでいたので、長生きはしたのでしょうが・・・・ちょっとあり得ません。これは朝廷ナンバーワンの大臣として、親子代々にわたり仕事と名前が引き継がれていったのではないでしょうか。歌舞伎の松本幸四郎は現在九代目です。

 

 仲哀天皇の死亡日と応神天皇の誕生日との期間がおかしい、と指摘する歴史研究者は少なくありません。邪馬台国の研究家で知られる安本美典先生も「応神天皇は武内宿禰の子供ではないだろうか」と言っていましたが、うっちゃんもそう思いたいのです。4世紀後半の自然あふれる香椎の浜で、歴史の記憶にはどこにも残っていませんが、神功皇后と武内宿禰の淡い浪漫があったのだと考えるほうが楽しいではありませんか。

境内の神木綾杉から右手奥に武内宿禰が皇子(応神天皇)を抱いた像があります。その宿禰の顔を見て下さい、あれは父親の顔ですよ。

 

 

 

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