Orissa

カルカッタのある西ベンガル州の南西に隣接し、文化的には南インドの雰囲気が強い。インド全体の中でももっとも素朴で田舎の風情を残し、残念ながら最貧州のひとつ。だが、その分伝統文化の保存状態は極めてよく、西洋化していないインド本来のフレーバーに溢れている。

観光地としてはLingaraj寺院で名高い州都BhuvaneshwarJhagannath寺院とビーチ・リゾートのPuri,その北で太陽寺院で知られるKonarakなどが上げられる。

今回オリッサに行ったのには訳があった。十数年前にインドに始めて渡って以来仏教の歴史を勉強してきたのだが、仏教が全インドに普及し、世界宗教へと飛躍していくプロセスにオリッサは深く関わっていた。紀元前3世紀に即位したマウリヤ朝のアショカ王は峻烈・残忍な征服者として知られていたが、当時オリッサを支配していたカリンガ朝に侵略したさい激しい抵抗にあい、最終的には征服するのだがその過程で死屍累々の数十万とも言われる夥しい戦死者を出した。その惨状を目の当たりにした時、アショカ王の心に勃然と懺悔・後悔の念が生まれ、それがきっかけとなって仏教徒へと改宗したという。

その後、彼の仏教への思いは強さを増し、インド全土を統一して一大帝国を築いた後に仏教を国教と定めた。そして有名なアショカ・ピラーと呼ばれる法勅の刻まれた碑文を全土に立て、国内だけではなく海外にも伝道師を送って、仏教の普及啓蒙に努めた。これが、仏教をインドの地域宗教から世界宗教へと飛躍させる契機となったと云われる。

私が今回インド武術を取材するに当たって注目したのは、このカリンガの戦いだった。精強を誇るアショカ軍を相手に、双方で数十万とも言われる戦死者を出すまで、徹底的に戦ったオリッサの戦士はさぞかし強かったのだろう。そんなに強かったオリッサ人なら、現代に至るまで何らかの形で武術の伝統を残しているに違いない。そう推測したわけだ。

そしてもうひとつ、インド武術の中でも、インド全土で普遍的に実践されている、いわば技術的共通言語とも言える技に、棒術の回転技がある。この技自体は攻防の技ではなく、純粋に武術的エクササイズなのだが、その姿は回転する車輪のように美しい。私は、この技が仏教の転法輪の概念と結びついて、仏教の普及と共にインド全土に広まったのではないかと仮説を立てている。ならばアショカ王が仏教に改宗した記念すべきオリッサの大地にも、この回転技はその歴史を刻んでいるに違いない。それを確認するという意味合いもあった。

案の定、オリッサの地には豊かな武術文化の伝統が息づいていた。それは現在衰退の道をたどって存亡の危機に立たされているとはいえ、かつてはケララやタミルに勝るとも劣らない豊かな伝統があったことを十二分に想像させうるものだった。

そして、棒術の回転技も見事に存在していた!私は平凡な村人が農作業の帰り道に手にした棒をクルクルと回しながら歩いていく姿を目の当たりにした時、戦慄を禁じえなかった。もちろん彼らはもはや仏教徒ではない。仏教がインドからほぼ消滅してすでに数百年が経過している。けれど、村人がまったく無意識的に回すその棒の姿は、やはり車輪のように美しく、かつてはそれによって仏陀そのものをシンボライズしたという転法輪そのものだった。アショカ王の仏教への熱い思いは、現代に至っても、日々の村人達の生活の中に脈々と息づいている。私はそう思わずにはいられなかった。

豊かな自然風土と宗教文化に育まれたオリッサの伝統武術。機会があれば是非訪ねてみて欲しい。

 

SPECIAL THANKS !

SANY0379今回オリッサの取材では沢山の人たちの無償の協力を得た。

ブバネシュワルで空手道場を運営するHari Prasad(写真上左)には,オリッサや全インドの武術に関する豊富な知識と、その豊かな人脈に大いに助けられた。アショカ王の碑文が刻まれたDhauliの地で仏教の布教に携わる日本山妙法寺の依田和夫お上人(同右)にも物心ともに大変お世話になった。

SANY0275Puriに住んでサンスクリット語の勉強をしているロシア人のカマルKamalakshaさん(下写真中央、右は奥さんのLalitaさん。抱いているのは娘のArti)と友人のAnandaさん(同左)、実は部類の武術マニアで、取材に当たっての人物紹介や通訳に奔走してくれた。大の日本贔屓なので、武術に興味のある日本人ならいつでも歓迎してくれるだろう。Mail:kamalakshayandex.ru

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