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10.マントラについて

 

 

マントラとは真実の言葉

 

 

”マントラ”はサンスクリット語で、原義は、「思考の道具」、すなわち”言葉”のこと。しかし、宗教的な意味での”マントラ”は、単なる”言葉”ではなくて”真実の言葉”すなわち”真言(しんごん)”を意味する。空海が開いた”真言宗”のあの”真言”のことだ。
 

あるいは「般若心経」の終わりのほうで、

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

(※ガテー ガテー パーラーガテー パーラサンガテー ボディ スヴァーハー)

という言葉が、偉大なる秘密の呪文(※咒文)として示されている。この”呪(※咒)”という言葉も”マントラ”を漢訳したもので、「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」という言葉も、要するに”マントラ”だということです。
 

インド人にとって”マントラ”とは、元来、「ヴェーダ」聖典の言葉を意味していたそうです。「ヴェーダ」は、神々より授かった言葉ですから”真実の言葉”であります。そして、その”真実の言葉”を用いて神々に祈りを捧げ、神々を動かしたり、あるいは、人々の心や大自然に影響を与えていく・・・・・・、こうした不思議なパワーを持った言葉、これが宗教的な意味での”マントラ”であります。

 

 

マントラと言霊

 

 

なぜ、”マントラ”を繰り返し唱える行法ができたのかというと、

明確な意思を込めて発した言葉は、自然界に影響を与え、また、人間に内在する創造力を発動させるものである・・・・・・・

と考えられていたからだ。

 

わが日本にも”言霊思想”というのがあります。万葉集に、大和の国は「言霊の幸はふ国(※ことだまのさきわうくに、または、ことだまのさきおうくに)」と書かれていますように、大昔から”言霊”の不思議な力が信じられていました。この”言霊思想”というか”言霊信仰”と、インド人の”マントラ”に対する考え方は、同じだと考えてよいと思います。

 

 

マントラのパワーの源泉は?

 

 

しかし、なぜ、そんな不思議なパワーが、言葉に秘められているのだろうか?

簡単に言うと、それはこういうことです。

「ヴェーダ」聖典の言葉には、背後霊団が控えているということであります。

地上の人々が、「ヴェーダ」の言葉を使って、誠の心で祈ったとき、「ヴェーダ」を降ろした天上の神々にその誠の思いが通じ、神々の守護・指導を受けることができる、ということ。

つまり、”マントラ”の力の源泉は、天上の神々のパワーだということです。

ま、天上の神々と地上の人々との間には、「マントラが響けば駆けつける」という契約、そういう契約あるということです。

平たく言えば、”マントラ”の言葉が、SOSの合図になっているということですね(^^;。

 

 

マントラは他の言語に翻訳してしまうと力を失う

 

 

だから、「ヴェーダ」を降ろした神々の守護・指導を受けたいのならば、「ヴェーダ」の言葉、つまり、サンスクリット語の”マントラ”を唱えなければなりません。日本語に翻訳してしまうと、言葉の意味は同じでも、”マントラ”としては通用しなくなってしまう。

 

サンスクリット語は、古代の聖者たちが瞑想中に、天上の神々から伝えられたもので、それぞれの音の波動が、人間の各チャクラのヴァイブレーションに対応している極めて特殊な言語だそうです。だから、”マントラ”をサンスクリットで唱えることには特別な意味がある考えられているのです。

※日本の神道家たちも、日本語に関して、同様の説を主張している。個人的には日本語を誇りに思っているが、こうした主張は、日本語だけを神聖なものとして他の言語を見下す感じがして、ついていけない(^^;。

 

 

マントラ行法は師の指導のもとで行うべきである

 

 

また、”マントラ”を唱える行法は、神々から聖者へ、聖者からその弟子へと伝わっていくものであることを知っておく必要があります。

”マントラ”の言葉は、数限りなくあります。たとえばAさんにとって、今の時点、どの”マントラ”が必要なのか?・・・・・・、このことをハッキリ見抜くことができるのは、やはり正師をおいてほかにいないのであります。また、”マントラ”行法にも二通りのやり方があって、Aさには、どちらのやり方がいいのか?・・・・・・、これを正しく指導できるのも、やはり正師をおいてほかにいません。あるいは、Aさんの心の状態を見極め、的確に指導できるのも、やはり正師でなければ無理でしょう。

 

 

マントラの危険な側面

 

 

逆に言うと、正師の指導なしで、自分免許で”マントラ”行法をやるのは、非常に危険だということなのです。
 
たとえば、漢訳の「般若心経」なども、やはり、”マントラ”の部分は、翻訳せずに、音写語で表現しています。「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」という呪文は音写語だから、漢字の意味をどれだけ調べてもみても、この呪文の意味はわかりません。
 
言葉の意味が分からなくても、「ガテー、ガテー、パーラーガテー、パーラサンガテー、ボディ、スヴァーハー」と唱えていると、この”マントラ”の背後霊団、すなわち地上に通信を送った天上界の仏教系の霊団の誰かが、契約に基づいて(^^;というか、自動的に引き寄せられてくるという仕組みになっています。

 

しかし、空念仏のように、意味も分からずに唱えているわけですから、呼ばれた側は、守護・指導したくても、守護・指導できない・・・・・・(^^;、そういうことが多いようです。

 

たとえば日本語を知らない外国人が、

「SUZUKISANN TASUKETEKURE!(鈴木さん、助けてくれ!)」

という言葉の発音だけ覚えて、意味も分からぬまま、人込みの中で大声で唱えたとする。そして、たまたまその近辺に鈴木さんという人がいたとする。するときっと、鈴木さんは、何事かと思って、声のした方に駆けつけてくれるでしょう。そして、「どうしました?大丈夫ですか?」と声をかけることでしょう。

 

でも、その外国人は意味の分からない”音”を発しただけで、本当の意味で、鈴木さんに助けを求めたわけではありませんから、何がどうなっているか、よく分からない(^^;。鈴木さんのほうも、キョトンとした外国人を見て、どうすればよいか分からない・・・・・・。”マントラ”には、こうした側面があると思います。

 

ま、とにかく、”マントラ”を唱えれば、その”マントラ”を地上に降ろした霊団の関係者が、契約に基づいて、駆けつけてくれる。でも、地上の人間の心の状態に応じて、守護・指導するわけですから、心の状態が悪ければ、守護・指導したくても、そうすることができないということであります。

 

そして、ここに大きな問題点がある。この時、恐ろしいのは、その霊団の活動を撹乱しようとしている地獄霊たちも、近くに忍び寄ってきているという点なのであります。”マントラ”に引き寄せられるのは、それを降ろした背後霊団だけではないということなのです。

 

たとえばキリスト教徒の”祈りの言葉”が響くと、キリスト教系の天使たちが契約に基づき駆けつけてくるけれど、キリスト教系の地獄霊(^^;もまた、その言葉を聞きつけて、近辺に忍び寄ってくる。密教の”真言”を唱えていると、天上界の密教系の霊も来るけど、地獄界に堕ちた密教系の霊たちもやってくる。

 

そして、天国と地獄の綱引きが始まる(^^;。”マントラ”行法を行なっている人の心の状態に応じて、どちらか一方が主導権を握るということなのであります。天上界の霊がついてくれれば、これは心強いことですが、地獄界の霊に取り付かれたら、大変なことになってしまうのであります。

 

だから、そういう意味で”マントラ”行法には、非常に恐ろしい面がある。たとえ神々が降ろした”真実の言葉”であったとしても、よこしまな心でそれを唱えるならば、神々の守護・指導を受けることは、決してできないだろう。それどころか地獄霊たちに憑依されてしまう可能性があるということなのだ。

 

この点を肝に銘じなければならない。”マントラ”行法はこうした危険な側面があるから、”瞑想”などと同じで、必ず、霊的な背景を見通す力のある正師の指導のもとに行われるべきものなのであります。

※精神世界の物知り博士から、「こんな呪文があって、これを常々唱えていると運が開けるよ」と、呪文を教わって、鵜呑みにして、訳も分からず唱えていると、実はその呪文が黒魔術の呪文で、大変なことになってしまった・・・・・・、というようなことが起きる可能性があるので、よくよく注意しなければならないと思います。

 

 

正法とマントラ

 

 

さて、では正法的に見て、”マントラ”はどうなのか?

”マントラ”行法を正しく行なえば、正神界からの守護・指導を受けることができるのだから、間違ったものではないと思う。

 

しかし、ハッキリ言うならば、正法には、「”マントラ”を唱える修行をせよ」という教えなどないのだ。”マントラ”行法は必須科目ではないということだ(^^;。”マントラ”行法の前に、やるべきことが、たくさんあるということなのであります。

そもそも、お釈迦様は、「ヴェーダ」の権威を認めず、「八正道こそが真の幸福に至る道である」と説かれたのであります。

 

その「八正道」の教えの中には、”マントラ”行法などまったくないのだ。

空海の真言宗(※密教)は、”マントラ”を重視している点で、本当の仏教ということはできないだろう。密教というのは、見方によれば、仏教が深化したもののように見えるかもしれないけれど、実際のところは、お釈迦様が捨て去ったバラモンの”マントラ”行法を、再び取り入れているのだから、「混ざり物がある」、「少し逸脱してきている」と見たほうがよいと思う。

 

また浄土系の称名念仏とか、日蓮系の題目とか、そういうのも要するに”マントラ”であります。仏教の本筋からズレていると思います。

 

神道系などでも”言霊”を唱えたりします。あれも要するに”マントラ”です。

たとえば、「あーおーうーえーいー」と唱えたら、地球が浄化する(^^;、なんてことを説く人もいますが、それでユートピアが来るのなら、CDにでも、「アーオーウーエーイー」と録音して、世界中でくり返し流しておけば、昼寝している間にユートピアがくるだろうよ・・・・・・(^^;。しかし、そんなバカな話はないのであります。

 

「心行」には、このようなことが書かれています。

 

心行は、宇宙の神理、人間の心を、言霊によって表現したものである。それ故、心行は拝むものでも、暗記するものでもなく、これを理解し、行うものである。正法は、実践のなかにこそ、生命が宿ることを知れ。

 

「心行」を唱えたら、こんな凄いご利益があります」などとは書かれていないのであります(^^;。
まず、大切なのは、「思い」と「行ない」を正しくして、心を清め、周囲を光明化していく努力。これが正法の要諦であり、この根本をつかむことだと思います。そうした努力もしないで、”マントラ”や”言霊”のパワーを利用していると、必ずどこかで間違って、最後には取り返しのつかないことになっていくだろう。

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コメント (2 件)

? さらん? さんの表示アイコン
? さらん? - 2009年 6 月 15 日
大和さん お久しぶりです┏○ペコ
「マントラ」という言葉自体初めて聞きましたが^^;言葉の持つ力というものは凄いのですね。
韓国でも「言葉は種になる」とよく言われています。いい言葉を沢山使うと いい花が咲くのでしょうね・・・
心掛けたいと思います。
過去ブログも読ませて頂きました。いつも多くのことを学ばせてもらっています。ありがとう!
というか^^; かなりお久しぶりでご無沙汰しました┏○ペコ
さらんブログはごめんなさいです(/へ\*))) またこれからも寄らせて下さい。
大和 春道 さんの表示アイコン
大和 春道 - 2009年 6 月 16 日
さらんさん、おひさしぶりです。
コメントありがとうございます。
さらんブログはしばらく休止ですか?
ま、ぼちぼち行きましょう(^^)ではでは。